mandai365.net

 

いのちの源に要注意! 2008年11月30日

近頃生まれる赤ちゃんの出生時の体重が、戦前の水準さえ下回り始めたと聴いて、ちょっとビックリしています。昭和55年の平均、男児3230グラム、女児3160グラムをピークに、徐々に減り始め、最近のデータでは昭和15〜17年平均(3050グラム、2970グラム)さえ下回ったそうです。生活全般に豊かな時代で、この結果は意外。世界でも今のところ日本だけの現象で、諸外国からも注目されています。

原因は、女性のダイエット偏重に喫煙、ストレスなど。もちろん、小さく生まれても大きく育ってくれれば良いのですが、妊娠中の胎内環境の悪化によって、胎児の中に発育を抑制するプログラミングもなされてしまう、とのことで何だか恐ろしい話です。生まれてから急に栄養を摂るようになると内臓肥満や腎不全など子供の頃から生活習慣病にかかりやすく、母体からのストレスにさらされていると、出生後にもちょっとしたストレスでキレやすくなるそうです。

同じようにかわいらしい赤ちゃんであっても、いのちの源の質が問われる時代となってきました。健康的なお母さんの楽しさや喜びの伝わってくる胎内環境で育まれるのと、いつもイライラした、食生活のバランスを壊したお母さんから生まれるのとでは、同じように見えるいのちでも、大きな質的な違いがあるのです。

あなたのいのちの源は、健全ないのちに溢れたものでしょうか?世の中の流行や、実際は当てにならない人間を人生の土台とし、いのちの源としていると、しっかり生きているつもりの人生そのものが内側から崩れることになりかねません。同じいのち、一見似たように見える人生でも、その根底に流れているいのちの本質が問題です。外見だけなら、誰でも案外簡単に整えることができます。そういう時代だからこそ、中身が問題になるのです。

2008年も、いよいよクリスマス・シーズン到来。私たちがその気になるより、ずっと早めに街中にはクリスマス・ソングが流れています。ショッピングセンターには、羨ましくなるほど立派なクリスマス・ツリーが飾られています。しかし、そんな見掛け倒しのクリスマスで終始するのではなく、クリスマスが意味する本当の価値に目を向けたいものです。主イエス・キリストは、神と人とを結び付けるためにこの世に来て下さいました。暗闇に支配される私たちの世界に、神からの光、本物のいのちが流れ込んでくるというのです。クリスマスが伝える、神の奇跡により、恵みの神をあなたのいのちの源とすることができるのです。イエス・キリストによって、あなたのいのちの源が変えられるのです。


働くこと、働けることの素晴らしさ! 2008年11月23日

今日は、“勤労感謝の日”。祝日だ!と休みのことしか気に留めないことの多い私たちですが、今日は素直な心で働くことを考えてみましょう。勤労感謝の日は、働く人、働いてくれる人たちへの感謝を持とうという日のはずですが、私たち自身、そもそも働くことができることを、心から感謝したいと思います。

最近では、働かないで、遊んで暮らすことばかりを考えている人が増えています。先日のニュースで、小・中・高校での暴力事件の増加が深刻化していることが報道されていました。それと軌を一にするように、将来は遊んで暮らしたいという子供たちの数も急増中。自分の思いが遂げられないとすぐに人を傷つけ、自分はというと、ずっと楽をしていたいというのです。大人の世界でも、大儲けしたいと不労所得の株や投資のことばかりを考えていて、全く働かずにいて最近の金融危機で青ざめている人も少なくありません。

しかし、単純なことのようですが、やはり人生は一生懸命働く人が幸せになるようにできています。これが基本です。神様が、最初に人をお創りになった時以来、私たち人間の存在には働くことが当然のこととして備えられていたのでした。ですから、少々しんどいから、楽な方が良いから、と怠け癖を増長させてダラダラした生き方をしていると、かえって人生の喜びが消えてしまうのです。楽をし過ぎると、かえって幸せでなくなるという面白い現実。

若い女性の皆さんから、どういうところを見て結婚相手を見つければ良いのかと訊かれる時はいつでも、いくつかのポイントと共に、働くことに理屈のいらない男が良いよ、と答えます。何をするにしても、変な理屈がないと人が動かない、おかしな世の中になってきました。屁理屈を山ほどこねないことには重い腰を上げない男では、家族の幸せは程遠いものです。働くことに屁理屈を言わず、生き生きと仕事に励めることは実に幸いなことなのです。私たちの教会には、実に働き者の兄弟姉妹たちがたくさんいることを私は神様にあって本当に誇りとしていますし、そういう皆さんの存在を心から感謝しています。

何気ないことかもしれませんが、毎日健康で、元気に働くことができることは感謝なことではありませんか。働くことを通して、与えられた命を最大限に用いて神様に仕え、周りの人々を支え、そして、自分自身を活かしてゆく・・・。働くことによって、恵みの連鎖が起こってきます。人々から期待されることによって、ますます価値ある仕事をしてゆくことができます。信仰をもって働くことのできることを、感謝しましょう。


特効薬はありますか? 2008年11月16日

金融危機の閉塞感、深刻化を打破するために、麻生首相の旗振りのもと、“定額給付金”の支給が決まりました。ただ、金額や支給方法など、政府と各市町村の間でこれから詰めなければならない問題も山積状態。“高額所得者”を除外するのか、しかし、そもそもその高額所得者をどこで線引きするのか・・・。一庶民として事態の推移を眺めている私からでも、一筋縄ではいかない課題です。連日の報道を見ても、素人目にも混迷していることがわかります。

首相としては、この世界的な未曾有の金融危機において、とりあえず即効性のある手を打たなくてはと考えるのは当然のこと。しかし、それが誰が考えても難しいことなのです。“特効薬”をすぐに用いたいのですが、その“特効薬”が何なのか、簡単にはわからないのです。“これが特効薬だ!”と叫んでいる人は多いのですが、どれも副作用が強そうで、安易には手が出せない状況なのです。

麻生首相にも、アメリカの次期大統領のオバマ氏にも、誰もが特効薬の使用を期待しています。しかし、事態はそれほど簡単なものではありません。指導者に選ばれるまでの選挙の段階では、いろいろと威勢の良いことを口にすることができます。しかし、いざその立場に就いてみれば、事態は本当に複雑で、おいそれと手が出せるような状態ではありません。やはり、じっくりと腰を据えて、時間もかけ、汗を流しながら、コツコツと動かしていかなければならないものなのです。

スピード化の時代です。ノウハウばやりの世の中です。ピンチに陥った時も、特効薬があると、安易な解決を求めて、すぐに手を伸ばしそうになります。しかし、本当に価値ある答えは、簡単に転がっている訳ではありません。やはり、問題の解決のためには、当然のことをなすべきです。私たちの生活においても、安易な特効薬ばかりを求めて右往左往することがありませんように。“安物買いの銭失い”などと言われるように、“急(せ)いては事を仕損じ”ます。そもそも私たちには、人生のどんな問題に関しても救い主キリストがいて下さいます。主キリストに祈ることで、どのような難問でも解決に向かって動き始めるのです。主が与えて下さったのは、あなたのいのちと人生を根本から変える尊い救い。あなたが直面するどんな危機においても、安物の特効薬ではない、本物の解決が主キリストの内に備えられているのです。


今こそ“変革”の時! 2008年11月9日

アメリカの次期大統領選挙に、オバマ氏が当選。来年の1月には、史上初の黒人の大統領の誕生となります。現代の世界で、アメリカ合衆国の大統領と言えば、世界で最もパワフルな人物、最高の権力者と言ってもおかしくありません。その立場に、47歳の黒人男性が就くことになったということです。

わざわざ大昔の事柄と比べる必要もありません。私たちが生きてきた、それぞれの何十年前かを振り返るだけで、その頃には起こりそうになかったことが起こったわけです。当のアメリカでも、つい半世紀足らず前には、のちに暗殺されてしまったキング牧師らを中心に公民権運動が起きていたのでした。それが、とうとう、その白人が圧倒的に優位な国においても、黒人の指導者を選ぶ事態となったのです。

同時に、それだけ社会全体で変化が激しく、誰にも簡単には解決できそうにない緊急の課題が山積している事実があります。そういう状況だからこそ、“変革(change)!”をスローガンとして掲げたオバマ氏が、人々からの幅広い支持を受けたのでした。連日、株価も乱高下する金融危機の様子を見ていても、文字通り、世界中が連動して、激しく揺れ動く時代を迎えたのだということがわかります。のほほんと同じ事をしていたのでは、どうしようもない状況に、望むと望まざるとに関わらず誰もが巻き込まれるようになりました。

私たちも、ただ漫然と過ごしていたのでは、失敗してしまいます。いきなり世界を相手にする必要はありませんが、私たちを取り巻く状況の変化をきちんと見つめつつ、その都度、最善の手立てを講じたいと思います。あなたの会社や、子供たちの学校、家庭の話題など、身近な話題を取り上げてみても、ついこの間までは取り上げられなかったものが、何だか切実な問題になり始めているはずです。

さあ、クリスチャンとしてのいのちをしっかりと働かせましょう。私たちは、単なる名目上の信仰者ではありません。神様があなたに与えて下さったものは、実際にあなたを救い、いのちと喜びに満たす、生きて働く信仰なのです。ですから、どれほど変化の激しい職場の問題でも、人間関係の複雑さでも、信仰によって自分自身を変えていくことができるのです。そう、変わらない神様の恵みによって、私たちは必要な“変革”を手にすることができるのです。テレビと一緒に、ただ野次馬的に騒いでいるだけでなく、自分自身の中にも確かに変革され、成長すべきところがあることを認めて、私たちのための“変革”の風を呼び込みましょう。


もったいない引退です! 2008年11月2日

マラソンの高橋尚子選手が、突然の引退発表をしました。怪我や体調の不良に苦しみ、練習するにしても自分の満足の行かない状態になったので、ときっぱりと引き際を決断したのでした。誰からも愛される、国民的な人気のランナーの引退宣言にみんなびっくり。私も、当然、驚きましたし、同時にもったいないな、と感じました。確かに36歳という年齢ですから、それも一つの選択肢でしょうが、まだまだ第一線で十分に存在感を示し続けることができると思いました。

元の監督である小出氏が、同じように語っていました。“もったいない。40までは充分やれるのに。一人でやってて、どうすりゃいいのか、わかんなくなっちゃったんたんだろう。”高橋選手自身の意思で、独立して自分のチームを作って頑張ったのですが、どうも上手く機能しなかったようです。確かにトレーナーや栄養士など、若い専門家を集めていたようです。しかし、本気で高橋選手を叱ったり、入れ込み過ぎる彼女を抑えたり、思い切って休養をとったり、年齢と共に練習の質を大胆に変化させる手助けをすることができなかったようです。高橋選手をコントロールし、世間の重圧からの盾となってくれる人が必要だったのです。

マラソンは、11戦して7勝。最近の不本意な数レースを含んでも圧倒的な強さでした。シドニーの金メダルの時、楽しくてたまらないと言って、爽やかな風のように42.195キロを走り抜けた高橋選手です。引退を自身に迫った本気度を考えても、かえってもったいない結末だと感じてしまいます。本当に走ることが好きで、なおかつ強い、本物のランナーが引退してしまいました。

私たちも、注意が必要です。自分で、自分なりに頑張っていると、それで十分だと思い、それ以上はどうしようもないと考えてしまいます。でも、そんな頑張っている私たちにこそ、人生を大局的に見てくれる存在が必要です。どんなプロの世界でもコーチやアドバイザーの助言は必要です。同じように、毎日の生活を頑張っているあなただからこそ、あなたの人生全体をしっかりと見つめて下さる神様の存在が大きな意味を持ちます。

信仰は、逃げて助けを求める生き方とは大違い。価値ある人生をしっかりと生きようとする人にとって、神様がいつも共にいるという約束は、素晴らしい祝福への保証なのです。私たちは、自分一人の小さな枠組みの中だけで全ての事柄を判断しては駄目です。家族のこと、仕事のこと、将来のこと、学びのこと・・・本気で挑戦するあなただからこそ、あなたのいのちのことを一番知っておられる神様の声に耳を傾けることが大切です。


集中力のある信仰生活! 2008年10月26日

最近、福岡市のある中学校で、授業一コマの長さを従来の50分から、半分の25分にする取り組みが始められました。生徒の集中力を保つとともに、増えたコマを割り振って主要教科をほぼ毎日設け、基礎学力の定着を目指す試みだそうです。授業時間を80分や90分に延長しようという意見がある一方で、正反対の処方箋が出された訳です。

“ゆとりの教育”以来、子供たちの学校での授業数を聞くと、国語、数学、英語、社会、理科などの主要科目でも、私たちが中学生だった頃に比べるとビックリするほど減っていました。ですから、主要教科を毎日のように配置するのは納得の行くところ。私としては大賛成。しかし、子供たちの集中力が低下してきたから授業時間を短くする、というのであれば、これは逆に心配になってきます。それに、25分という短時間の授業で、先生方がテレビやラジオ番組での授業のように、手際良く、内容の濃いものを毎日提供できるかどうか、それも気になるところです。

あなたの集中力は、どのくらい持続しますか?最近の傾向は、若い子供たちを中心に注意力散漫な人が増えているようです。現代は、確かにスピード化の時代。電車や飛行機が速くなったというだけでなく、生活のテンポも速くなり、物事がコロコロと変わりやすくなってしまいました。それに伴って、その場その場で、物事を瞬時に処理する能力は高まってきているように見えます。しかし、じっくり腰を据えて初めて身に付くべき事柄は、何だか苦手な人が増えているようです。あなたも最近、何だか細切(こまぎ)れにしか集中力を働かせられないようになってはいませんか。

例えば、私の大好きな音楽の世界でも、きちんと楽器を演奏できる人が減ってきているような印象があります。お手軽に、誰でも楽器に触れることはできるのですが、本当に上手な人はかえって減っているようなのです。チャンスは溢れているのに、かえって集中することができず、本当の力が身に付かないのです。じっくり練習する人が減っています。

信仰の世界も、集中力が減衰したままではいけません。神様からのいのちで生きることは、私たちの人生にとっては存在そのものに関わる大事なことですから、本当はじっくりと取り組むべき事柄。苦しい時だけの、細切れの集中力ではなく、じっくりと神様に向き合う真面目な姿勢が大切です。落ち着きのない、何だか短気な信仰生活を良しとしてしまうのではなく、本当に成長のある、神様に根付いたものへと一歩前進したいもの。さあ、あなたの心を、神様にしっかりと結び付けて下さい。


受け入れるものに要注意! 2008年10月19日

時は、食欲の秋。放っておいても、食べ物がおいしく感じられる時期です。私も9月上旬にインド伝道から戻って以来、日本の食事がいつも以上においしく感じられて、体重は微増傾向。毎日、これも食べたい、あれも食べたい、と心の中では食欲と自制心との間のミニ・バトルを繰り広げる日々です。

そんな時に限って、中国から輸入された冷凍インゲンから高濃度の農薬が発見されて、また大騒動です。スーパーやコンビニで食品を手に取っては、裏返して産地を確認することが日常の所作になってきました。東京では、ふぐ調理師の免許を持った料理人が、自分で調理したふぐを食べて、一時は意識不明の状態に。ちょっと情けない話ですが、いずれにせよプロでもそんな間違いを犯すのですから、ごく平凡な私たちも食べるものを精一杯気を付けなければならない訳です。表示をしっかり見たり、十分水で洗ったり、いつも以上に熱を通したり・・・とりあえず、そんなところでしょうか?

口からおなかに取り込む食材だけでなく、目や耳から心に入るものに対しても十分に注意が必要です。私たち人間の心は、いつも機械のようにきちんとした基準を保っているのではなく、だんだん環境に慣らされたり、状況に流されるようなことが起こるからです。殺人事件や詐欺をニュースやドラマで当たり前のように受け止めている内に、単なる報道をチェックしているのでも、娯楽として楽しんでいるのでもない、別の事態が生じます。あなたの心が徐々にそういう悪いものに対しても鈍感になり、何だか平気になってしまうものなのです。

“まあ、いいかぁ・・・”と柔軟に対応しているつもりが、自分にとってはマイナスにしかならないものを取り込むことにならないように注意が必要です。ごく普通にスーパーに並んでいるから、テレビで当たり前に流れているから、といって安心してはいけない世の中になってきました。現在は、世の中の豊かさが仇(あだ)になって、実は人に対して害毒となるものさえ垂れ流しにし、ごく当たり前に流通されていることがあるからです。

信仰を持つことは、優柔不断な私たちの心に、はっきりとした基準を与えます。何でも流行を追い求めるだけでなく、また適当に楽しいものばかりを受け入れるのではなく、自分自身にとって本当に必要なものを求める姿勢が必要です。豊かに物が溢れ、情報が氾濫する中でただ受身なのではなく、真に正しいものを選ぶことが大切。あなたの心にも、生きて働く信仰がしっかりと機能していますように。


称賛に値する生き方! 2008年10月12日

本年のノーベル物理学賞を、シカゴ大学名誉教授の南部陽一郎氏、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠氏、京都産業大学理学部教授・京都大学名誉教授の益川敏英氏の3氏が受賞しました。その速報の興奮冷めやらぬ翌日には、ボストン大医学校名誉教授の下村脩氏が同化学賞受賞のニュースが続きました。世界に出て行って仕事をすることの多い私としても、日本人が高い評価を受けることは本当に悦ばしいことです。

毎年、誰か一人くらいは日本人受賞者が出るかと期待されている、世界最高の栄誉とも言われるノーベル賞。それが今年は、何と一挙に4人もの受賞者が出た訳です。日本人としては、これで16人目だとか。本来の業績が正当に評価されるなら、日本人からはもっと多くの受賞者が出ていて当然だとよく言われます。英語などの言葉の壁や、文化の違いを越えて、徐々に評価されやすくなってきたのでしょうか。今回受賞した南部氏なども、もう何十年も前に受賞していておかしくないと言われ続けてきた人物です。文学賞でも、毎年、受賞の噂の絶えない村上春樹氏などもおられます。

特に、物理学賞や化学賞など、“科学”に対する評価ですから、選考方法も純粋に“科学的”なのだろうと素人は思い込んでしまいがち。しかし、この“科学的”に選考、選出するということが実はなかなか難しいことのようです。どうしても、誰かの主観の入った評価や推薦が不可欠ですし、科学だから、世界最高峰の賞だからと言って、純粋に客観的な評価がなされるということは不可能なのです。本当はノーベル賞に値する、あるいはそれ以上の功績を残した科学者たちが、世界には実はたくさんいるのでしょう。

また、ノーベル賞のように世界中から称賛される賞をもらえる人だけが立派なのではありません。まして、私たちの人生の生き方を考えてみれば、ただ名誉や称賛を受けるから成功者だとは限りません。人の世の中での称賛は、あくまでも一つの視点からの評価であって、それが全てではないのです。そう考えると、私たちも、ノーベル賞などとは直接縁のない人間かもしれませんが、だからこそ、むしろ、この一つのかけがえのないいのちを与えて下さった神様を常に意識して、真に称賛に値するようにしっかり歩むものでありたいと思います。“・・・ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したり・・・(Uコリ6:8)”様々なことが起こる中で、神様の目に堂々とした生き方をしてまいりましょう。神様は、私たちのために、“いのちの冠(黙2:10)”を用意して、見守り支えていて下さいます。


信仰のムーブメントを! 2008年10月5日

最近、スーパーの店頭からバナナが消えています。販売していない訳でも、入荷していない訳でもありません。爆発的に売れていて、すぐに売り切れてしまうのです。私も、東京や福岡などの集会の前、小腹を満たそうとよくバナナを一本、コンビニで買い求めていたのですが、ここ2週間ほど、どの店でも見ることができなくなってしまいました。

原因は、ダイエットの特集のテレビ番組。朝食をバナナと水で済ませると減量にテキメンとのことで、何だか凄いブームになっています。ある街では、バナナを求めて、ご婦人たちが自動車をぶっ飛ばしてスーパーからスーパーへと争奪戦まで展開されているそうです。バナナの身になってみれば、別に何があった訳ではなく、ずっと同じバナナなのですが、突然、人気者になってしまった状態。戦後の高級食材から、最近では何だか安い果物というイメージが定着してしまったバナナですから、いきなり、ひょんなところから復権といったところです。

しかし、考えてみれば、日本人である私たちも何と流行に弱いのでしょう。たった一つのテレビ番組がきっかけとなって、日本中でバナナが手に入らないほどの大流行が起こるのです。輸入業者の話によれば、恒久的にバナナの消費量が増えるとは思えないので、フィリピンや台湾などからの輸入をすぐに増やす予定はない、とのこと。すなわち、今回のブームもあくまで一過性のものと見ている訳です。

ただし、流行があることが決して悪いことだとは思いません。私たちの、ごく普通の人生の流れに、アクセントや色合いを付けてくれるものだからです。平凡な人生に、楽しさや勢いを生み出すきっかけとなります。だとするならば、私たちはクリスチャンとして、単に世の中の流行に乗るだけではなく、信仰を土台としたブームをあれこれ起こすことを本気で考えるべきだと思います。あなたの生活の中には、世の中のマスコミが作り出した流行ではなく、信仰者として熱く燃えるブームがあるでしょうか。祈り方や献げ方、兄弟姉妹との交わりを作り出す工夫や、信仰の成長へのチャレンジ・・・など、常に熱く、主に喜ばれるものを追い求めたいと思います。

世界の歴史の中で、社会全体に多大な影響を及ぼした福音宣教のリバイバルの働きも、個々人のクリスチャンや一つの教会の信仰のムーブメントから始まりました。私たちが本気で日本でのリバイバルの実現を求めているなら、ダイエットであっても大ブームを起こすことのできる事実は、ある意味で大きな励ましです。単なる流行のとりこではなく、聖霊の働きによって、信仰のムーブメントを起こしてまいりましょう。


思惑違い? 2008年9月28日

麻生太郎氏が、自民党総裁に選出され、次いで内閣総理大臣への任命に伴って、新しい内閣が動き始めました。何度も総裁選にチャレンジしてきた麻生氏にとっては、“積年の念願かなって”というところでしょう。しかし、これからが本番。金融不安、原油高、年金問題、格差社会・・・難問が山積する中、日本の舵取りは上手く行くでしょうか?

早速、内閣支持率の調査結果が発表されていましたが、49パーセントとのこと。国民に人気の高い麻生氏が総理となっての数字でしたが、安倍内閣発足時の70パーセント台には程遠く、福田氏の時の57パーセントにも及ばず、自民党にとっては、正直、思惑が外れたといったところでしょう。近い内に衆議院の解散、総選挙が実施されるであろうことは、誰もが認めるところ。民主党は民主党で、千載一遇のチャンスと政権奪取の構想を掲げていますが、果たして、政局は誰の思惑通りに進むのでしょうか?

たとえ政治の専門家、金融のプロであっても、全てのことが思惑通りに進むことはありません。世の中は、それほど単純ではありません。専門家の世界でもそうなのですから、私たち凡人の生活が思惑通りに進まなくても不思議ではありません。特に最近では、激動激変する社会情勢を受けて、見通しの立たないことだらけです。

そういう時代だからこそ、近視眼的な物の見方で計画を立てたり、安易な状況判断に従って物事の判断をするだけでなく、一つ一つの出来事において神様に祈れることは、感謝なことなのです。自分の考えが万全で、こうなるはずだと決め付けすぎると足もとをすくわれます。物事を大局的に見るためには、やはり神様の視点から自分を見ることが大切です。

もちろん、何でもかんでも神様に丸投げして、自分では何もしないのでは困ります。信仰は、決して無責任な態度で構わないと言っているのではありません。一つ一つの出来事に真剣に向き合いながら、その都度、自分の判断する方向や、決断の及ぼす影響を考えつつ、神様からの最善の導きを信じて祈るのです。今の世の中では、能力のある人ほど悩みが深くなってきた感がします。仕事でも、家庭のこと、自分の将来設計でも、考えれば考えるほど悩みは深くなります。ですから、能力の高い人ほど、神様に信頼してしっかり祈ることに意味があるのです。

あなたの祈りを、神様は聞いて下さいます。素直に、神様の導きを信じて、祈りましょう。実際に祈ってみれば、神様からの導きというものが本当にあるのだということがあなたにもわかるはずです。


信仰は、あなたを幸せにします! 2008年9月21日

事故米、汚染米の騒動が収まりません。最初は、事故米を食用と偽り転売した、農林水産省の直接の監督下にある元請け数社の問題として事件化したのですが、それが今では、流通の末端にまで及び、介護施設、学校での給食、コンビニやスーパーでのおにぎりやせんべい、酒類にまで使用されていたことが分かり、大きな責任問題に発展しています。農水相も同事務次官も引責辞任。取り扱った業者の中には自殺者まで出る騒ぎです。

農薬やカビ毒のせいで、もはや食用には適さず、糊などを製造するための“工業用”とのレッテルを貼られたお米でした。見た目には分からない、他の米と混ぜてしまえば食べてもそれほど危険だとも思えない・・・。極端に安く仕入れることができるので、当然沢山の儲けが出ます。事件の本当の当事者のみならず、この事故米に関わる流通関係者は皆、うすうす感づいていたようです。しかし、噂には聞いていたものの、まあまあ、なあなあで中途半端にしている内に大事件になってしまいました。

インフルエンザの流行などもそうなのですが、ごく初期の段階で押え込んでしまえば、ひどいかぜで終わるのに、日本中、世界中に広まってしまってからでは、微小なウイルスを起因とする疾病でも、騒ぎや被害、問題の大きさが全く違ってしまいます。まさに“蟻の一穴”といった感じです。他人事ではなく、私たちの目の前の問題も、自分の手に負える範囲の小さな問題である内に、適切な処置をしておく必要があります。

クリスチャンとして、日々を大切に、一生懸命に生きて行くことには、実に大きな価値が含まれているのです。場当たり的な生き方を繰り返していると、必ず将来に対して問題の根を残してしまいます。やはり、“今さえ良ければそれで良い”という態度では問題が残ります。神様のみこころを意識して、たとえどんな地道なことでも一つ一つ手を打っておくと、必ず恵みの明日が拓かれるのです。今日、信仰を働かせて行動する一つの正しい行いは、あなたの未来への本当の投資なのです。信仰生活は、私たちを幸せにします。神様に喜ばれる生き方は、あなたの周りの人々を幸福へと導き、あなた自身に本当の幸せをもたらします。さあ、今日の一日、この一週間を信仰をもって歩みましょう。一つ一つのことを祈りと信仰を込めて、愛と笑顔をもって取り組んでまいりましょう。


秋の到来です! 2008年9月14日

ここ数日、朝夕の空気がすっかり秋らしくなってきました。夏用の薄い掛け布団のままでは、朝方はひんやり。日中の最高気温はまだ、31℃〜32℃と夏並みの暑さですが、見上げる空の青さは、秋の色。肌に感じる空気も、秋の風です。

学校では、秋の運動会が始まっています。高校の運動会は、すでに終わりかけていますし、今日あたりからは中学校、小学校の運動会も始まるようです。日中は、まだまだ夏の暑さですから、ちょっと大変でしょう。私の子供の頃の思い出の中での運動会には、朝、学校に通う道で吐く息が白くなっていた、肌寒い感じの運動会の記憶もあります。それが、受験時期の前倒しの影響もあって、運動会の日程はどんどん早くなっていますし、地球温暖化の影響で夏をいつまでも引きずっているので、“秋”の運動会というよりは昔であれば十分に“夏”と呼ぶべき状況での運動会です。子供たちは、みんな真っ黒に日焼けして帰って来ています。応援に行く家族も、これは心して出掛けなければなりません。

社会の状勢が変わり、地球環境も変わり、“秋”の面持ちも確かに変化してきました。しかし、いずれにしても時は着実に流れ、季節は移り変わっています。立ち止まってはいません。そんな季節の移り変わりも感じつつ、私たちも実り多い秋の日々を受け止めたいと願います。人生の導き手である神様に、信仰の目を向けましょう。

自民党の総裁選に、事故米の偽装問題、北朝鮮の金正日の健康不安説は本当なのか・・・と、世の中には、今どきの話題が溢れています。慌しさはいつものこと。そんな騒がしさの止むことのない毎日の歩みの中で、私たちは自分自身にとっての祝福のニュースを持っていることが大切です。今年の夏からこの秋の入口までの日々に、あなたの生活の上に注がれた神様からの恵みを忘れてはなりません。そして、9月、10月、11月と進んでいく秋の日々には、恵みの秋にふさわしい豊かな祝福が備えられており、楽しい出来事が待っていることを期待しましょう。

あなたの仕事の予定も、家族との計画も、神様が共にいて下されば、必ず祝福されたものとなります。教会の行事も、あなたが祈り求めている事柄に関しても、必ず神様からの恵みが現わされ、素晴らしい結果へと導かれます。神様と共に歩む歩みの中で、祝福の事実をしっかりといただいてまいりましょう。さあ、あなたにとっても、恵みの秋の始まりです!


腰の据わった歩みを! 2008年9月7日

本年のインド伝道が大勝利に導かれ、喜びと感謝を心に感じつつ、南インドのチェンナイからシンガポールへと戻り、ムーイ先生ともこの機会を用いてお会いしておこうと思い、クアラルンプールまで足を運ぼうとした時、そう先週の火曜日です。ふと飛び込んで来た国際ニュースで、福田首相が辞任を表明したことを知りました。

久しぶりの日本のニュースでしたし、いきなり???と頭の中は混乱状態。あれ?つい最近、内閣改造までしたはずなのに・・・と、思い出し始めて、私なりにこれは本当に唐突な辞任発表だったに違いないと理解したのでした。確かに、“ねじれ国会”など、政権運営は大変だったのでしょう。しかし、そもそもそういう事態は織り込み済みのはず。それも、前任の安倍前首相と同様、任期の途中に、周囲の人間にとっても意表を突くようないきなりの辞任です。こんなことが日本という世界の先進国の柱になるべき国のトップに立つべき地位において、一年に2回も起こったとなると、本当に情けない話です。

サミットなど、世界的な会議などで、どうも日本の指導者たちは影が薄い感じがします。それは何も日本人の配慮や決してでしゃばり過ぎない奥ゆかしさが裏目に出てというだけでなく、やはり責任感や気持ちの強さの違いが滲み出てのことなのだと、今回の件を見ても感じさせられます。

アメリカの大統領選挙などは、2年くらい掛けながら、想像を絶するような誹謗中傷にもさらされつつ、莫大な経費を費やしての真剣な長期戦です。選挙人たちによって選出されるといっても、ほとんど国民投票のような感じなので、この国民の負託を受けて一国の指導者となった人物には、本当の気持ちの強さが伴います。

政治の世界だけでなく、私たち個々人の生活においても、少々嫌な事があるからといっていつも逃げ出すことばかりを考えているのでは、結局何も良いことは始まりません。何も起こせません。これだけ変化の多い時代になってくると、良いことも悪いことも、ひっきりなしに様々な出来事が起こります。その都度、嫌だ、もうやめます、こんなはずではなかった、と言い始めたらキリがありません。

さあ、あなたもどっしりと腰を据えて下さい。どうすれば、腰をしっかりと据えることができるかといえば、やはり移ろいやすい自分自身を土台として据えるのではなく、いのちの与え主であり、常に救いを与えて下さる神様に心の土台を置くこと。そして神様の導きを信じること。あなたはふらふらすることがあっても、神様が共にいて下されば、絶対に大丈夫なのです。肝っ玉の据わった生き方を、信仰者であるあなたは、することができます。さあ、信仰を土台として、人生の歩みを腰の据わったものとしましょう。


2008年のインド伝道!恵まれています! 2008年8月31日

主キリストの御名によって、遠くインドの地よりご挨拶申し上げます。去る25日(月)の深夜(日本時間では、すでに火曜日)、南インドのチェンナイに到着し、そのまま陸路、トリベロールのタンカチャン牧師宅に到着しました。火曜日には、プトゥルーという近くの町にできた新会堂の献堂式、水曜日には教会が経営している洋裁学校の卒業式に、キリスト教書店の開所式などを行ない、こちらでの活動も充実したものとなっています。

水曜の夜には、野外集会の会場で祈りの時が持たれ、共に集った100名近い兄弟姉妹たちと、今回の大集会の大成功、大勝利を確信しました。今回の大会は、タンカチャン牧師の教会の新会堂建設予定地で行なわれます。インドでのバブル直前に、神様に導かれて取得した畑であった土地で、トリベロールの中心街まですぐの、大変便利な場所にあります。高校の運動場くらいの広さは十分にありそうです。隣接地も今回の集会中は借り上げることができ、駐車場や露店まで、十分な広さを確保することができます。今までの野外集会の時と比較すると、格段に良い照明や音響の設備が用意され、タンカチャン牧師の娘婿にあたるマーチン牧師が中心となって準備した聖歌隊や奏楽のチームも、今までの大集会のものと比べると最高の仕上がりです。

振り返ると、10年前、この同じトリベロールの街で、バス・ターミナル隣の広場で野外集会を開きました。今回、同じ街での集会となりましたが、その間、タンカチャン牧師の教会も着々と成長し、私たちのインド伝道もますます進展し、この10年間の恵みを実感しつつの大会となっています。本当に感謝なことです。

木曜日の夜、初日の集会が開催されました。4000〜5000人の会衆が集いました。その中に、一人の10代後半の少年がいたのですが、実は彼は、10年前の集会に来ていて、その時癒されたのだ、と語ってくれました。10年前、言葉をしゃべれなかった彼は、家族に連れられて私たちの集会に来たのでした。その時、癒され、言葉を発することができるようになり、ステージの上で証ししました、と。それから10年。彼は立派に成長しています。

夜空に、主への讃美と福音のメッセージが響いています。今夜の2日目、3日目とさらに多くの人々が集まってくるはず。昨夜も、片方の耳が突然聴こえるようになったり、目が癒されたり、と素晴らしい癒しの業が起こり始めています。天候も守られています。日本から祈って下さっている兄弟姉妹の祈りをひしひしと感じつつ、全力で主キリストの福音を伝えさせていただいています。皆様の上に、主の圧倒的な祝福を祈ります。素晴らしい勝利の報告を持って日本に戻ります。[8月29日(金)午前] 


神のストーリー! 2008年8月24日

北京オリンピックもいよいよ終盤です。日本女子ソフトボールは、“悲願の金メダル獲得”という朗報の一方で、“絶対に金メダルを獲る”はずだった野球の星野ジャパンは、あっけなく準決勝にて敗退。日本中のおじさんたちは沈没。スポーツ好きの私には、一喜一憂の毎日で、オリンピックの半月間はどうも心休まることがありません。

ハラハラドキドキの果てに、飛び上がるほど喜んだり、思いっきり落ち込んだり、それもスポーツの楽しみ方の一つだと思います。と、同時に、勝者にも敗者にも、語り始めればキリの無い、それぞれの物語があります。周りの野次馬たちの身勝手な応援の論理とは違った、それぞれの人生のストーリーが競技の勝負に絡んで展開しているのです。

水泳の平泳ぎで2大会連続の2冠を達成した北島康介選手が、誘導尋問のようなインタビュアーの質問に、言葉を選びつつ、「皆さん、またこれでストーリーを作ろうとしてるでしょう?」と慎重に答えて、身勝手なジャーナリストたちの機先を制していたのは見事でした。確かに、本人以上に、あるいは全く本人の知らない話を、あたかも感動の物語のように作り上げられたのではたまりません。過熱気味の、マスコミの報道上の物語にはそれなりの演出やわざとらしい感動も作り込まれているのでしょう。でも、事実として、それぞれの選手たちの周辺には、それぞれに個性的なストーリーが展開していることに間違いありません。ぜひ、作り物ではない、本物のストーリーを嗅ぎ分けたいと思います。

もちろん、他人事ではなく、私たち一人一人の人生においても、それぞれの物語が、二つと同じものが無い形で存在し、今も動き続けています。そして、特に、クリスチャンである私たちには、今まで、自分一人で歩んできた物語とは別の、神のストーリーが展開しています。あなたは、自分の信仰者としての生き方を、神のストーリーとして見つめてみたことはありますか?もちろん私たちは、オリンピックのメダリストたちのように脚光を浴びる存在ではないとしても、それでも確実に神のストーリーはあなたを主人公として今日も動いているのです。

あなたが導かれ、救われ、今日まで信仰者として歩んできた道のりのことを思い返して下さい。その中に、確かに現されてきた神の不思議な導きと、逆境の中でも常に共にいて下さった主キリストの臨在を、あなたも必ず見い出すことができるはずです。あなたという人生の上に現された、神のストーリーという大切な物語を、さらに感謝をもって、恵みの溢れる先の展開へと進めてまいりましょう。


信仰者には信仰者の熱さがあります! 2008年8月17日

テレビや新聞からは、北京オリンピックのニュースが伝えられ、日本選手の活躍に一喜一憂の日々です。日本の夏の風物詩とも言うべき、夏の甲子園も吹っ飛ぶほどの盛り上がりぶり。普段は人で一杯の繁華街も、お盆の休みも重なって、夜になるとオリンピックを観るためにみんな家に帰って空っぽの状態です。

“猛暑”の暑さだけでなく、そんな熱さもある2008年の夏ですが、私たちは私たちで信仰による熱く恵まれる日々を過ごすことができています。実に、感謝なことです。先週は、月、火、水と中高生会のキャンプが四国の山奥、高知県の仁淀川町で行なわれ、大自然の中で大いに祝福されましたし、木曜と金曜の2日間は、みんなで奈良県の橿原に集まり、15回目となる全国聖会をもつことができました。250名ほどの兄弟姉妹たちと、文字通り熱く主を讃美し、真実の愛に焦点を合わせて、祝福が濃厚に注がれた2日間となりました。

人任せの興奮や喜びではなく、自分自身の歩みの中で、本当に自分らしい喜びの理由をもつことができることは幸いです。マスコミやインターネットの情報を通して、私たちの周りには様々な流行が作り出されていきますし、世の中の大ニュースであっても実際には作為的に生み出されるものも決して少なくはありません。自分で選んで楽しんでいるつもりであっても、実は、作り物の世界に上手く取り込まれているだけに過ぎない場合も多いのです。

信仰の世界は、いつも神様との一対一の関係を基本としています。人任せではなく、ある意味で、いつもあなた自身が主役として存在している訳です。調子に乗って誰かの後に付いて行くだけでは駄目ですし、かと言って、神様のみこころに目を向けずわがままを通して、独り相撲を取るのでは、真の恵みに至る信仰生活にはなりません。あなた自身が、神様としっかりと向き合って、自分にピッタリの祝福をいただくことが大切です。

テレビの前の、“その他大勢”の中での楽しさや興奮だけで終わることなく、あなた自身のために注がれる主キリストの恵みをいただいて、あなたの魂が素直に、自然に、そして豊かに恵まれますように。クリスチャンではない人々には分からない、心に確実に湧き上がる喜びの法則があるのです。さあ、あなたも信仰者として、信仰者らしい喜びや楽しさの理由を見つけて下さい。あなたの心の目を神様に向ければ、神様からの祝福は必ずあなたに向かって注がれてきます。


繋がることの不思議 2008年8月10日

不思議だと思ったことはありませんか?何気なく毎日を生きているように思える私たちですが、神様がいのちを造ってくださって以来、私たちのいのちは今日に至るまで一度も途絶えることなく続いて来たという事実。何万年、何億年、何十億年・・・と、科学は想像出来ないほどの時間の流れを語りますが、その間、ずっと途切れることなく、今日のごく平凡に見える私たちのところにまで、いのちは受け継がれて来たのです。

逆に、私たちの親、祖父母・・・と遡って行くと、このいのちの連鎖は単に何代か前の先祖や、武士や公家の時代で終わるのではなく、実はずっと遡り続け、最後は、聖書がアダムとエバの物語で語るように、最初の人のいのちにまで必ず行き着くのです。具体的にどこの誰、と知り得る範囲は限られていても、今、あなたが生きているという事実が、あなた自身という存在は、神様による天地宇宙の創造以来、いのちが繋がって来たからこその存在であるということなのです。

最近の世の中では、全く反対に、その場限りのものが圧倒的に増えて来ました。インスタント・ラーメンが流行り始めた頃から、じっくり時間をかけて何かに取り組むのではなく、すぐにできるものへと世の中の関心は移って来ましたし、次に、ポケットカメラに代表される使い捨ての時代となりました。その後は、自分で所有する必要もないレンタルばやりとなり、21世紀に入る頃から現実に物が存在しなくても良いデジタル空間上のバーチャル(仮想現実)の世界に突入しています。そんな時代だからこそ、本当のいのちの連鎖は、今まで以上に大きな価値を持つものとなっています。

“アブラハム、イサク、ヤコブの神”と、聖書は私たちのいのちの連鎖と向き合って下さる神様を語っています。確かに、私たちにいのちを受け継がせてくれた感謝すべき親の存在があります。私たちに、信仰のいのちを伝えてくれた信仰の先輩たちがいます。私たちの人生を、単に機械とは違う、真に彩りのあるものとしてくれた愛に溢れた人々がいます。一人だけで生きているように思い込むような事がたとえあったとしても、本当は実に多くの人々との出会いによって生かされている私たちです。

私たち、一人一人に与えられているいのちの連鎖を心から感謝しましょう。短い人生の中で、共に神様の家族として祈りと愛を分かち合うことのできる人々が確かに存在していることを思い起こしましょう。あなたは、決して一人ぼっちではありません。神様はあなたの人生に、あなたを支え、愛してくれる価値ある人々を、ちゃんと配して下さっています。あなたに与えられた、繋がることの不思議を感謝しましょう。


世界一の長寿国!世界一の幸せ? 2008年8月3日

日本女性の皆さんが、またまた世界一の座を更新しました。最近、厚生労働省が発表したデータによると、2007年の日本人の平均寿命は男性が79.19歳、女性が85.99歳で、共に2年連続で前年を上回り、過去最高となった、とのこと。癌や心臓疾患での死亡率が大きく改善されていることが要因だとのこと。この数字で、女性は23年連続で世界一を維持。男性は2006年の2位から3位に下がったのだそうです。

何でもかんでも他人と比較するのもどうかとは思いますが、少なくとも医学的なデータからすれば、日本は世界最長寿国だということ。この地上でのいのちは限りあるものですから、そのお金には代えられないものを、私たち日本人は世界の誰よりも長く享受することが出来ているというのです。単なる思い込みではなく、科学的なデータとして、事実そうだ、というのです。

しかし、やはり考えてしまいます。世界一の長寿国が、そのまま世界一幸せな国と言えるものとなっているだろうか、と。別に、1番でなくても2番でも3番でも構わないのですが、長寿に見合う幸せの実態があるのだろうか、と問い掛けたくなります。実際には、テレビや新聞で連日報道される、昔は考えられなかった凶悪犯罪。格差社会の到来で、何かしらみんなで感じているお金の不足感。日本の社会全体を覆っているように感じる閉塞感。子供たちも、夏だというのに家の中で生気無くゴロゴロしていますし、職場ではいつもだれかがイライラ。世界一の長寿国だと言われても、おめでたいと感じるよりも、そんな高齢化社会になってしまって今後どうなってしまうのか、と不安感の方が募る始末。

長寿という、人間が求めうる最高の幸せへの条件を用意してみても、それでも本当に幸せは手に入らない。むしろ、これからの社会では、平凡な幸せさえなかなか難しくなりそうだと感じている人が多いのです。やはり、聖書の語る原則を忘れてはダメですね。私たち、人間は、神様によって創られました。ですから、本当に人としての生き方や、魂の底からの平安、いつもずっと心の中に流れ続ける幸福感は、神様と共に歩んでこそ実現するのです。私たちには、世界に比較して誇れるほどのものはないかもしれませんが、主キリストと共に歩む人生は、確かに幸せなものなのですよ。世界一の幸せ、と呼んでも良いくらいの祝福が与えられているのです。

さあ、夏本番。暑さの中でも、主の恵みを感謝しつつ、毎日を楽しく歩みましょう。


良いものを追い求めよう! 2008年7月27日

例年より早めに梅雨が明け、連日の猛暑となっています。気象庁の天気予報では、25℃を超えると「夏日」、30℃を超えると「真夏日」と呼んで、一般の人々にも暑さの感覚を伝える工夫をして来ました。それが、最近では35℃を超える日もよくあるということで、「猛暑日」という呼称まで生まれてしまいました。

私の子供の頃は、33℃などというと、夏の間に一度あるか二度あるかの暑さだったように記憶しています。それが、最近では35℃も当たり前。ひょっとすると40℃をあちらこちらで超えてしまうのではないかと思うほどの暑さです。確かに、地球の温暖化の問題も手を打たなければと、私たち庶民も感じてしまいます。

そんな夏の暑さの中ですが、神様からの恵みも素晴らしい勢いで現されています。単に暑い夏なのではなく、祝福の現される夏とされているのは感謝なことです。先週の松山でのレイモンド・ムーイ先生の癒しのセミナーでも多くの癒しのみわざが現されました。松山の兄弟姉妹たちからの恵まれた証しが続々と届けられています。また、東京での3日間に及ぶムーイ先生の大会も実に恵まれたものとなりました。参加されていたお一人お一人の上に病いの癒しや経済の祝福が現されました。

松山の大会には、福岡や大阪、広島からの兄弟姉妹たちが駆け付けて下さり、東京の大会には、大阪や九州からの方々に加えて、一番遠くは沖縄から参加して下さった方もおいででした。私たちが祈りつつ、信仰を込めて準備し、皆が力を合わせて開催している各集会ですが、その中に多くの恵みを見い出して下さる人々が確実に増加しているのです。

一昨日、東京から松山へと飛ぶ飛行機が満席で、キャンセル待ちをして乗り込みました。夏休みだからでしょうか、いかにも今どきの若い女の子たちが2、3人ずつのグループで乗っています。話している言葉を耳にすると、どうも松山や四国のイントネーションとは違います。松山に到着してみてその理由が判明しました。昨日の土曜日に、松山の郊外で、ある音楽プロダクションの歌手たちが勢揃いする大コンサートが開催されたのでした。文字通り、日本中からファンが集まって来ていた訳です。自分が良いと思うものには、人々はどんなに遠くとも集まって来るのです。

さあ、主キリストの恵みは力強く現されています。私たちも、ますます信仰を働かせて主が与えて下さる良き物を期待し、受けとめさせていただきましょう。この夏、主にある良いものを追い求めてまいりましょう。


やはり“面と向かって”でないと! 2008年7月13日

先週の月曜から水曜にかけての3日間、北海道での洞爺湖サミットが行なわれました。地球温暖化を中心とする、地球規模での環境問題や、最近の食料、原油高、また今後の世界金融のあり方に関する問題など、緊急性を伴った課題に対して集中的な討議がなされました。福田首相が議長として、果たしてどれほどのリーダーシップを発揮できるか、世間は注目していたのですが、世論の評価は、全くダメだと言う人もいれば、かなり頑張ったと好意的な意見もあって、総合的には“まあまあ”といったところに落ち着いたようです。

今どきの話題ですから、問題点はすでに周知の事実。誰もが知っていること、気付いていること、問題点を実感している課題ばかりでした。そして、新聞、テレビ、インターネットを通して、世界中の人々で共有している課題ばかりなのでした。こういう問題点に関しては、いつでも誰にでも電話をかけることもできれば、メールも関係者一同に即座に送りつけることもできる訳です。しかし、今回のようなサミットが継続的に行なわれている理由は、当たり前のことのように思われても、やはり一同に会して、面と向かって討議しなければ、決まるべき事柄も決まらないという事実があるからです。

2国間の首脳会議を開催するだけでも、準備は大変です。それが、アメリカやロシア、イギリス、フランスなど世界の主要8カ国の首脳が一箇所に集い、その上、中国やインドなど経済発展著しい国や、食糧問題に悩むアフリカ諸国の代表も揃うという、もの凄い顔ぶれになりました。準備も大変ですし、開催の運営にはもの凄い労力が必要だったはずです。日本中での警備体制も厳重で、出張中の私などは、各地の空港でいつもより数段厳しいボディチェックに遭うことになりました。

そういう様々なハードルがあっても、たとえ大変な経費、労力が必要であっても、普段、決して顔を合わすことのない首脳同士が顔と顔を合わせて話し合うことには、それ以上の価値があるということです。最近では、人間関係が希薄になって、面と向かって誰かと真剣に語りあうということがめっきり少なくなってきました。しかし、人生の大事なことは、メールに任せっきりでは解決も前進もしません。やはり、面と向かわなくては・・・・信仰の世界も、同じです。あなた自身がしっかりと神様と向き合わないでは、どうしても解決しない事柄があるのです。人任せではダメ、軽いメールではダメ、という事柄が確かに存在します。さあ、あなたの信仰を働かせて、神様にしっかりと向き合いましょう。神様との関係が希薄なまま、空虚な歩みをしてしまうことがありませんように。


夏は、夏らしい行動計画を! 2008年7月6日

ここ松山でも、先週半ばからいきなり日中の最高気温が33度、34度などという暑さになりました。今年の梅雨は、雨が多く、気温は高くならないままでしたので、湿気はあるもののどこかで凌ぎやすさを感じていました。それが、いきなりの真夏の日差しにビックリ。そして、いきなりの“梅雨明け”宣言。もしかすると例年よりも、暑く長い夏になるかもしれません。昨年などは、8月になってから梅雨明け、という状態だったと思うのですが、やはり今年の夏は、今年の夏で、新たな筋書きになりそうです。

世界伝道に出て、常夏の国々を旅することが多いのですが、そんな折には日本に四季がはっきりとあることが本当に素晴らしいことだとわかります。季節の移り変わりと共に、心の中にも情緒の流れが生じて、私たちの毎日の出来事にメリハリを付け、日々の何気ない事柄にも味わいを増してくれます。春、夏、秋、冬・・・それぞれの季節に、それぞれの心の持ち方があるようですし、日本人ならではの過ごし方、楽しみ方があります。

毎年、真夏の到来を感じる頃に、私は同じような事を感じてしまいます。せっかくの夏なのだから、夏らしい毎日を楽しく過ごさせていただこう、と。最近は、夏なのに、クーラーの効いた部屋から一歩も出ないで、パソコンやゲームばかりに興じている若い人が増えています。きっとその人たちにとっては、私の言う“夏なのに・・・”という感覚より、“暑くてたまらない夏なのだから・・・”部屋に閉じこもっているという感じなのでしょう。しかし、それでは、人生の躍動感やせっかくの休暇を用いての特別な時間を楽しむ喜びは決して手にする事ができません。

せっかくの夏なのだから、夏にふさわしい行動計画を立てませんか?私たちの教会でも、レイモンド・ムーイ先生をお迎えしての癒しのセミナーに始まり、“海の日”のイベント、教会学校のキャンプ、中高生会の夏キャンプ、そして奈良・橿原での全国聖会・・・と、いかにも夏らしい行事が目白押しです。8月の終わりには、インド伝道の大集会が控えています。さあ、あなたも大きな恵みをいただく夏の計画を立てて下さい。一般の人が体験する夏の躍動感をはるかに越えて、主はあなたを聖霊の躍動感で満たして下さるはずです。そして、祝福の思い出がいっぱいの、2008年の夏が実現するのです。さあ、心を、夏モードに切り替えましょう。夏にふさわしい信仰の行動計画を立てましょう。


むやみに信用してはいけない! 2008年6月29日

ミートホープ社や船場吉兆の事件であれほど世間が大騒ぎしたので、食品偽装はもう終わりかと思っていたら、さにあらず。今度は、飛騨牛の偽装に、中国産うなぎを三河一色産と偽って販売した事件がニュースを賑わせています。飛騨牛偽装の食肉卸会社社長の責任転嫁だらけの態度や、中国産うなぎを扱った業者の偽装工作のからくりなどを知ると、どちらも相当に悪質。“ちょっとした出来心で・・・”では済まされない、本気の詐欺、悪徳商法そのものの手口です。

何にもまして見かけがものを言う時代。見栄えだけは一人前のものが増えています。外見や体裁ばかりが幅を利かせていて、中身は空っぽなのです。さらにその流れの中で、いかにも本物らしく見せかけた偽物が人々の心を捕えています。今では、物のたくさんある豊かさや選択肢の多さが、かえって偽物をはびこらせる原因となっているようです。

新約聖書が書かれた初代教会の時代にも、世の中が平和で物が豊かになるにつれ、偽物がはびこるようになったことが記されています。Tヨハネ4章の冒頭にはこうあります。“愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。”

今、私たちの住む時代にも、豊かさと便利さの中で本物と偽物に絡む大きな混乱が生まれています。“本物だ”と言える良いものほど、見かけだけを真似され、表面的な内容だけコピーされた偽物が現れます。そして、時には本物を凌(しの)ぐような勢いで人々の間に広まったりするのです。そういう時代だからこそ、私たちも・・・自分に都合の良い神様の話だからといって、何でも信用してはならない。愛だからといってむやみに心を許してはならない。幸せの秘訣だからといって安易に受け入れてはいけない、と聖書は語っています。

クリスチャンである私たちに与えられている素晴らしい能力は、物事の本質を見極めることが出来るということ。それが、本当に神様からのものであるか、神様の御心にかなうものであるかどうかを問うことによって、私たちに真に益となるものかどうかを見極めることが出来るのです。何でも批判ばかりして、皮肉しか言えないような安っぽいマスコミのような生き方ではなく、主キリストの御心を私たちの人生の歩みの中で実現して行く、そんな本物の生き方を選び取りましょう。偽物への疑心暗鬼を越えて、聖霊によって正しいものを選ばせていただき、主に喜ばれるものを作り出す人生を歩みましょう。


あなたの祖先はナメクジウオですか? 2008年6月22日

最近、発売された科学雑誌によると、京都大、国立遺伝学研究所や英米などの国際研究チームが突き止めた結果、ヒトの祖先は“ナメクジウオ”なのだそうです。ナメクジウオとは、脊椎動物の前段階で背骨に似た筋肉組織を持つ「脊索(せきさく)動物」の一種で、大きさは3〜5センチのもの。頭部はなく尾びれに似た器官があり、魚のように泳ぐ、とのこと。これまでは、ホヤがヒトの祖先だと考えられていたとのこと。ホヤもナメクジウオと同じ仲間で、今から5億2千万年以上前に、ホヤ、ナメクジウオ、脊椎動物の順に進化したと考えられてきた、のだそうです。

以上のニュースは、近年、進展の著しい遺伝子研究の成果によるものです。研究チームは解析の結果、ナメクジウオの約21,600個の遺伝子を特定し、このうち、1090個の遺伝子をホヤと比較し、ナメクジウオの方が早く現れ、原始的であることを確認。それらの遺伝子の6割がヒトと共通しており、並び順も似ていたのだそうです。一方、ホヤは独自の進化を遂げた傍流と分かった、とのこと。

“お前の祖先は猿だ”と言われるだけでも、やや猿顔の人にとっては十分にショックなのに、最近の研究では、魚だか何だか分からないものが遺伝子的には私たちの祖先ということになっているらしいのです。確かに科学的には、世界的な雑誌に掲載されるようなビッグニュースなのでしょうが、正直なところ、私はちっとも嬉しくもなく、心が打ち震える感動を味わうこともありませんでした。はあ、そうなんですか?という感じ。祖先がナメクジウオだと分かって、心底ホッとしたということはありませんでした。

科学的な探求からは、これからも新しい発見や研究の報告が次々に報告され、様々な学説が提出され、証明され、書き換えられ、定説だとされていくのでしょうが、それが完全な真理ではないことを忘れてはなりません。人間を見る見方には、様々なものがあります。その一つは、聖書が、私たちは、神様によって造られた価値ある存在だと語っているものです。科学的な探求は、私たちが生きる限り、決して結論に達することはないのでしょう。しかし、神様の言葉である聖書は、私たち一人一人が生まれる前から、幸せへの土台を私たちに語っています。神様によっていのちを与えられた私たちだから、真剣に神様に向き合えば必ずいのちの道は私たちの前に開かれるのです。私は、自分がナメクジウオの子孫だとは大声では語りませんが、神様によっていのちを与えられた者だと心から叫びたいと思います。


理屈を越える信仰! 2008年6月15日

8月に開催される北京オリンピックに向けて、スポーツ界はだんだんと緊張感が高まってきました。 オリンピックまで、残り2ヶ月。準備の質が問われる時期です。水泳界では、前代未聞の水着問題での大騒ぎが起こりました。このオリンピックを直前に控えて、英国のスピード社から、他社の水着と比較してビックリするような速さの出る水着が発売されたからです。

日本のミズノ、アシックス、デサントの3社も、それぞれに技術の粋を込めた水着を提案。従来の常識からすれば、日本の代表選手は、これら協賛企業の水着を着用して試合に臨むはずでした。もちろん、それぞれが立派な日本製ですから、ちゃんとした技術的な裏づけがあります。記者会見などを通して明らかにされた各製品の特徴を並べてみると、どれも一長一短、甲乙付けがたいものです。議論だけではいつまでも決着は付きません。

しかし、実際に選手たちがそれぞれの水着を着用して実践に臨んでみると、結果は一目瞭然。スピード社の水着を着た選手たちは日本記録を連発。平泳ぎの北島選手にいたっては、驚異的な世界新記録まで叩き出したのでした。論理や説明の域を越えて、結果が全てを物語っていたのです。日本の三社も、選手たちの選択の希望を最大限応援する、と寛大な姿勢を示して問題は一応落ち着いたのでした。

信仰の世界にも、似たところがあります。神様に関する理解や、信仰の姿勢など、私たちが考えたり、説明したり、納得しようとする事柄が確かに存在しています。しかし、人間の理屈は、どこまで行っても所詮人間の理屈です。神様の真理とは、掛け離れていることがあるのです。神様は私たちに理性を与えて下さいましたが、私たち人間の知識や思考が絶対的なものであると思い込むと、思わぬ失敗をしでかすことになります。

理屈を越える信仰を意識しましょう。あなたの思うところ、願うところをはるかに越えて働かれる神様がいらっしゃるからこそ素晴らしいのであって、神様がいつも自分の理解の範囲内でしか働かれないとしたら、それはあなたの意識より小さな神様であって、そんな神様を敢えて信じる必要もありません。普段、様々な事柄をあれこれ考え、思い煩うことの多い私たちだからこそ、時には、心を思いっきり解放して、素直に神様の恵みの大きさを信頼してみることです。あなたの理屈はちょっと横において、シンプルに神様を信じてみましょう。予想以上の祝福がもたらされるはずです。


あなたの人生の流れをチェックしよう! 2008年6月8日

2016年のオリンピックの開催地として立候補していた東京が、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロと共に第一次選考を通過したそうです。オリンピックの開催能力があるかどうかを問う採点では、総合評価に関してはとりあえず立候補している都市の中で最高の評価を得たとのこと。東京都の関係者はホッとしているようですし、いつもはマスコミに対しては不機嫌なことの多い石原都知事も何だか高揚感をもって会見に応じていました。

ただ、気がかりなのは、日本政府がまだ本腰を入れていないことと、何よりも東京都民をはじめとする世論の盛り上がりが今ひとつだということ。本当に東京でのオリンピックが開催されれば、4〜5兆円もの経済効果が見込めるとの試算は示されてはいるものの、競技施設の建設費や交通網の整備など、開催の準備に関する費用が4000億円もかかりそうだというのです。景気が良いのか悪いのか、格差の問題もいろいろと指摘される昨今の状況の中で、本当にそんな巨額プロジェクトが必要なのか、と疑問の声も上がっています。もちろん、日本人全体に苦手な積極的な誘致活動がこれから求められるということで、開催に失敗した時には、準備のお金だけが無駄になるというので、これも考えものです。

お隣りの中国の、この夏のオリンピックに向けての異常なまでの盛り上がりを見ていると、つくづくオリンピックというものは、社会の情勢や国情との関連で開かれるものだと思わされます。経済発展が凄まじく、一刻も早く世界の一流国入りを果たしたい中国にとっては、オリンピックの開催と成功は、国民挙げての悲願とも言うべきもの。リオデジャネイロも、国の発展と南米への関心を考えれば、是が非でも開催したいという意気込みが伝わってきます。同じオリンピックでも、日本ではだいぶ受け止められ方が違うのです。

同じ出来事でも、時代や状況に応じて、そのこと自体のもつ意味や価値まで変わってくるのです。あなたの心の状態は、健全でしょうか?本当は、感謝すべき素晴らしい事柄が起こっているのに、あなたの心がひねくれているので、その良さが味わえないような悲劇は起こっていませんか?神様からの恵みは確かに注がれているのに、あなたの心が騒がしく混乱している内に、祝福を味気ないものにしていないでしょうか?神様の愛も、導きも変わりません。さあ、あなたの人生のあり方を冷静に見つめて、注がれている祝福をしっかりといただきましょう。神様からの恵みはいつの時代も変わらないものです。何があなたの人生に起こっていようと、神様の恵みから目を離してはいけません。


その人から放たれるもの! 2008年5月25日

あなたはどのような雰囲気を身にまとっていますか?あなたは、どんな空気を周りの人々に対して放っていますか?私たちは、常々あれがいけない、これがダメだと周りの状況や、出来事を指して、行き詰まりや不幸の原因としてしまうものです。しかし、周囲の事柄はさておき、実は自分自身が何を発しているのか、どのような雰囲気を生み出しているのかということを、もう一度真剣に考えてみる必要があります。

昨年の4月、東京と松山で特別セミナーを開いて下さったビル・ウィルソン先生が、木曜日に来日され、昨日より沖縄での特別集会で語って下さっています。ニューヨークで毎週2万人を越える子供たちに福音を語り、世界の街角で子供たちに接しているスタッフによる働きを加えれば、毎週4万人、5万人の子供たちに主キリストの愛を伝えようと奮闘しているエネルギッシュな先生です。

今回の集会のお世話や通訳をしながら同行してみて、やはり一目瞭然の事柄があります。それは、どこに行き、誰と出会っても、常にビル・ウィルソン先生の世界が誕生するということ。木曜日に、来日されてすぐ、東京での懇親会を催したのですが、どこにでもありそうな食事会であっても、すぐにウィルソン先生がそこにおられるという独特な雰囲気の集まりとなりました。金曜日の午後、沖縄入りしてからも、どの集会もウィルソン先生が作り出す、子供たちへの愛と実践に裏打ちされた信仰とビジョンに溢れた空間が作り出されています。

一人の信仰者から発せられる信仰と事実に基づく証しの言葉が、どこにでもありそうな集会にいのちを与えて、人々の目がキラキラと輝いてきます。周囲の出来事ではなく、その人の心から湧き上がるいのちが、周囲の事態にも大きな影響を及ぼし、雰囲気を変え、人々を巻き込んで行くのです。人の心から発せられるエネルギーが人々に良くも悪しくも影響を与え、客観的な状況さえ変化させて行くのです。

あなた自身が発しているエネルギーに気を付けましょう。人を励ます前向きな雰囲気をあなたは発しているでしょうか?温かな感謝の心が、あなたの周囲の人々に伝わっているでしょうか?人々の心を重くさせたり、物事を重たくさせる否定的な力を知らず知らずの内に撒き散らしていることがありませんように。あなたの心が発するエネルギーが、周りの人々に伝わって行きます。あなたの言葉、笑顔を大切にして下さい。


やり遂げること、やり抜くことの素晴らしさ! 2008年5月18日

先週の木曜日(5月15日)に、アンデレ宣教神学院の第16回卒業式が行なわれ、3名の姉妹たちが卒業されました。一般課程で1年、そして専攻課程での3年、合計4、その両方を兼ねてであったりの姉妹たちですので、4年間しっかり学び通された事に、心から拍手喝采です。年間に及ぶ学びを完成しての卒業式でした。それぞれ社会人としての仕事をしながらであったり、家庭の主婦であったり、その両方を兼ねてであったりの姉妹たちですので、4年間しっかり学び通された事に、心から拍手喝采です。

最近の世の中では、コロコロと目新しいものばかりがもてはやされ、スピード化の社会の中で変化に次ぐ変化の連続で、一つの物事にじっくりと腰を据えて取り組むことがすっかり忘れ去られてしまったようです。粘りや忍耐が無くなり、やり遂げること、やり抜くことの価値が随分と軽視されているようです。特に、男性諸兄の踏ん張りがどうも効かなくなっているようです。

そんな時代の風潮をものともせず、この4年間、一生懸命に学ばれた姉妹たちでした。そして、じっくり、しっかり学ばれた一人一人は、それぞれに主の恵みによって触れられ、変えられた証しを確かに持っておられます。インスタントや借り物ではどうしようもない、やり抜いてこそ与えられる恵みがあるのです。

あなたは日々の歩みの中で、やり抜くこと、やり遂げるべきことを、コツコツと積み上げておられるでしょうか。いつの間にか、周囲の無責任な空気に巻き込まれてしまって、その場限りで刹那(せつな)的な生き方が忍び込んできてはいないでしょうか。確かに、それはそれで楽な生き方なのでしょうが、楽な生き方にはやはりそれなりの祝福しか付いてきません。踏ん張るべきところは踏ん張り、やり抜くことは真剣にやり抜く時、あなたの人生にしか現されない特別な恵みが事実となってきます。時間を掛けて、時には汗と溜め息で向き合わなければ、決して形となることのないものがあるのです。

辛いとか、苦しいとか、呟く必要はありません。それは、神様があなたに与えて下さった特別に恵み深い人生の一端なのであり、祈りつつ、感謝をもって前進すれば、必ず恵みの花が咲くのですから。流行している物事を追いかけることなど、実はどうでもよいことなのです。そんなことよりも、神様があなたに与えて下さった人生の日々を、確実に推し進めて行くことです。やり抜くこと、やり遂げることです。信仰を働かせて、じっくり取り組めば必ず見えてくる祝福の世界があります。共に、励みましょう。


笑顔と喜びの発信源! 2008年5月11日

ゴールデン・ウィークが終わり、ますます新緑が目に眩しい季節を迎えています。一年で最も爽やかな時期とも言える5月の日々を、喜びをもって歩んでまいりましょう。とは言うものの、世の中では物騒なニュースが引きも切らず報道されています。特に、不気味な流行となっているのは、硫化水素による自殺。洗剤と入浴剤の混合によってこの毒ガスが発生するとのこと。一体何故、どうして、こんな恐ろしいことが流行するのかよく分からないのですが、事実、各地で連鎖反応のように同種の悲しい事件が発生しています。

そんな時代の状況にあって、私たちは心からの笑顔を発信することができることは大きな幸いです。兄弟姉妹と共にチャレンジした本年のバザーも、大勝利でした。4月29日、バザーの当日は、好天に恵まれ、多くの人が私たちの教会を訪れて下さいました。奉仕者のお一人お一人がそれぞれの持ち場で大活躍して下さったことを心から感謝申し上げます。自分の食事をしたり、休憩する間もないほど、踏ん張り続けて下さった皆さん、本当にありがとうございました。

私自身も、当然、バザーの会場でドタバタと走り回っていたのですが、そんな忙しさの中でも、私たちの教会は幸せの場だな、と喜びと感謝が自然に湧き上がって来ました。目先の損得勘定や自分の利害を越えて、神様の働きのために共に真剣に奉仕できることはなんと幸せなことでしょう。私たちのバザーには、訪れて下さったお客様が口々に感嘆して下さるほどの楽しさと温かさが溢れています。そして、今回のバザーを通して、放送伝道、海外伝道の働きのために、合計で130万円ほどの献げ物を生み出すことができたことも素晴らしい成果です。

また、5月2日から4日までの福岡での九州聖会、そして5、6日の高知県での森のキャンプにおいて、兄弟姉妹と祈り合い、交わりの時を濃密に持てたことも大きな喜びでした。私自身も大いに開放され、祝福されたひと時でした。深みのある幸せや、きちんとした土台のある喜びが溢れていました。教会では、私たちは互いに兄弟姉妹と呼び合うのですが、それは単なる形式や伝統ではなく、本当に主にある大きな家族であることを再確認することができました。老若男女の垣根を越えて、語り合い、祈り合う、生きた交わりが私たちの教会にはあります。世の中に、人の命まで奪う物騒な話題が流行する中、私たちは主キリストの恵みによって、喜びと笑顔の発信源とされていることを心から感謝いたします。


主(あるじ)の不在は悲しいもの! 2008年5月4日

東京・上野動物園のパンダのリンリンが死亡し、1972年のカンカン、ランランの来日以来、はじめて同動物園にジャイアント・パンダが居なくなってしまいました。36年間に亘って、上野動物園の顔であったパンダがいなくなったということで、何だか寂しい気持ちの人も沢山いるようです。幸いなことに、今、日本では、和歌山の白浜と、神戸の動物園に合計でまだ8頭のパンダがいるようですが・・・。

上野動物園の話では、しばらくの間、パンダ舎はそのままにして公開するということ。私たち日本人の感覚ですから、当然、パンダの“冥福を祈る”ために多くの人が訪れそうです。いずれにしても、主(あるじ)のいなくなった建物は、寂しいものです。

と、ここまで亡くなったパンダに思いを寄せてきて、はたと私たち人間の心も、本当の主(あるじ)のないままで生きて行くことの辛さを思い知らされました。私たち人間は、“神のかたち”に造られたと、聖書は語っています。単なる偶然や、成り行きの産物ではなく、そこには神の意志と存在の基本的なあり方が初めから明確であったというのです。それなのに、私たちは、自分の身勝手やわがままを推し進める内に、大切な心の主(あるじ)を失ってしまいました。罪が、私たちの心を支配するようになってしまったからです。

ゴールデン・ウィークの最中、お休みの日々を満喫しているのですが、本当の心と魂の休息は、私たちのいのちの与え主である神に向き合う時にこそ与えられるのだということを忘れてはなりません。金儲けの算段や、人の気を引くことや、自分の好きなことをすることに心を奪われている時間だけでなく、この折角の連休の中で、静かに神と向き合う時間を持つようにしたいと思います。祈りや静かな瞑想の時間・・・ただボーッとするだけでも良いですから、自分の心の中にはいつも救い主キリストがおられるだろうか、と思いを巡らしたいと思います。

楽しいはずの連休の中でも、心が空っぽになった空しい現代人の悲劇的な事件が続きます。他方、私たちはと言えば、決して特別なことではないのですが、去る4月29日(火)にはバザーをみんなで開催し、大変恵まれた時間を過ごすことができました。身体は確かに疲れるのですが、心は何だかポカポカと温かく、幸せの実感が私たちを包み込みます。主キリストを信じて、主のために仕えることは、確かに心を潤すのです。そうです、私たちの心には、確実に主であるキリストが居て下さるのです。あなたの心のど真ん中に、主キリストが今日もいのちを満たして下さいますように。


私は、バザーが大好きです! 2008年4月27日

私たちの教会、松山福音センターには、日本中どこに出してもおかしくない、誇りとすることのできるものがいくつもあります。その一つが、教会のみんなで作り上げるバザー。今年もいよいよ春の大バザーを迎えます。子供の頃から大好きだったバザーを、48歳になった今回もワクワクしながら迎えられることは、本当に幸せです。

ここで、今回のバザーでの注目ポイントを勝手にご紹介します。まずは、“肉うどん”・・・係りの姉妹たちこだわりの、昆布からの本格だしの利いたおうどんをご堪能下さい。甘く煮込んだお肉と絶妙の組み合わせです。“カレーライス”は、担当される姉妹たちのお顔が新鮮なメンバーに。お味の方もきっと新しいおいしさを演出してくれるはず。“杏仁豆腐”は、係りのみんなが試作に試作を繰り返して行き着いたアジア風蒸しパン“マーラーカオ”とのコンビで、お口の中は即、幸せ気分。ご近所でも評判の“福音ずし”は、酢の合わせ方はもう秘伝の域。ご飯とのまぜは、牧師自らが腕を振るっておりますのでご期待下さい。

4階の“喫茶コーナー”は、一つ一つが手作りで、心からホッとしますし、毎回、生地の中身や練りにこだわり続ける青年会の“たこ焼き”も、ぜひしっかり味わって下さい。若いみんなの元気が込められた中高生会の“焼きそば”もいつも大好評。そうそう、メンズクラブの“おもち”は、正真正銘の杵つきですし、みんなで採ったヨモギもおいしく色を添えています。

“販売コーナー”には、一年かけて姉妹たちが集めてくれたお買い得商品が勢揃い。教会学校の“ゲームコーナー”では、テレビゲームでは決して味わえない、温かいぬくもりのある遊びがいっぱい。シメオン会のテーブルには、おじいちゃん、おばあちゃんたちならではの品物が山盛りです。そして、“くじ引きコーナー”に、“キムチ”“ヨーヨー釣り”“餃子”・・・と、あ、紹介しきれない!大学生会の“クレープ”も進化しているはずだし・・・。

私たちのバザーの中心には、何と言ってもいつも主キリストが共にいて下さいます。伝道の働きのための献げ物を生み出し、愛をもって共に仕え合い、温かい交わりが溢れています。さあ、あなたも今回のバザーの中で、普段の生活の中では味わえない楽しさや喜びを感じ取って下さい。祝福を祈ります。


バザーが目前です!恵まれましょう! 2008年4月21日

4月もすでに半ばを過ぎ、これからいよいよ下旬へ。ゴールデン・ウィークも近づいて来ます。今年の大型連休は、5月2日(金)から4日(日)の2泊3日は、九州福音センターや鹿児島福音センターの兄弟姉妹たちとの九州聖会(福岡県飯塚市にて)、5月5日(月)、6日(火)の2日間は、松山の兄弟姉妹たちを中心に森のキャンプ(高知県吾川郡)に出かけます。

すでに、東京では、4日間に亘ってレイモンド・ムーイ先生をお招きしての第5回目となる癒しのセミナーが開かれ、今回も癒しのみわざや様々な神様からの祝福が具体的な形で現わされました。参加された方々に、主キリストが今も生きて働いておられることが明確に示されたことは、本当に感謝なことでした。私たちの信仰は、単なる学びだけの宗教ではなく、私たちの人生の流れを変える、生きた力なのです。

今年のゴールデン・ウィークの中でも特に大切にしたいのが、松山での春の大バザー。私たち福音センターの今日に至るまでの歩みの中でも、常に大きな意味を持つ行事です。私たちの教会は、常に伝道する教会。主キリストの福音を、ありとあらゆる機会を用いて、人々に伝えていく姿勢を基本として持ち続けています。この働きのために、私たちは少しでも献げ物を生み出そうと、何十年にも亘ってこのバザーに真剣に取り組んできました。もちろん、バザーだけで放送伝道や海外伝道の必要が満たされる訳ではありませんが、私たちの伝道に取り組む信仰の姿勢を皆で一致して現わしてきたのです。

今回のバザーでも、兄弟姉妹たちと共に奉仕できることを心から感謝します。賛美と笑顔をもって、楽しい交わりの中で、バザーを盛り上げていくことができることを、本当に嬉しく感じています。私たちには、主キリストのためにという明確な目的があり、具体的な行動があり、信仰があり、そして、愛と喜びがあります。義務感や伝統だけで行なわれていた、一般の学校や地域のバザーはほとんど無くなってしまいました。形式だけで続けられていたものは、やがて色褪せ、消滅してしまいます。しかし、私たちのバザーには、今も明確ないのちが込められています。

さあ、これからの10日間、ご一緒に思いっきり奉仕しましょう。楽しさと勢いに溢れた2008年のバザーを形作ってまいりましょう。主キリストに向かって共に仕える時、世の中の他のものでは決して与えることのできない喜びと祝福があなたの心にも注がれます。奉仕することが、こんなにも楽しいことをあなたもぜひ味わって下さい。


聖火リレーが大混乱です! 2008年4月14日

8月に行なわれる北京オリンピックを控えて、世界各地を巡る聖火リレーが始まりました。しかし、各地で大混乱の様子。すでに行なわれたロンドン、パリ、サンフランシスコ、ブエノスアイレスなどの諸都市では、聖火が奪われそうになったり、水を掛けられたり、暴力的な抗議行動まで巻き起こっています。主催者側は、いきなり走るルートを変更して、誰も見物客がいないところでのリレーにしたり、距離を短縮したり、また聖火防衛隊なる素性のわからない強面(こわおもて)の警備を付けたりと、もはや平和の祭典としてのオリンピックの一部とは思えない状態です。

妨害活動の一番の原因は、中国のチベット問題。チベットの独立や自治を認めようとしない中国政府に対して、平和の祭典を主催する資格が無いというデモンストレーションです。中国政府の方は、オリンピックを契機として国の威信を世界に知らしめようと、アテネ五輪に続いて世界各地を巡る聖火リレーを意気揚々と企画したはずなのですが、今回はそれが裏目に出てしまいました。

オリンピックに関わる問題ですが、そこには単にスポーツとしての競技があるだけではなく、深い主義主張のぶつかり合いがあります。実は、テレビや新聞の報道の表面的な事件が問題なのではなく、問題の根底に流れているイデオロギーや価値観の対立にこそ大きな意味があるのです。中国は、これから本当に国際社会の一部として、あるべきルールに従って共存していけるのかどうかが問われています。

国や国際社会の問題だけでなく、実は、私たちの個々人の生活においても、表面的な問題はさておき、問題の本質にある価値観やその人の生き様というものが大きな意味を持つようになりました。自分ひとりだけが幸せなら良いという人生なのか、それとも周りのみんなと成長していくのか。怒りでも鬱憤(うっぷん)でも自分の生の感情を人にぶつければ良いのか、それとも一つ一つの事柄に感謝して生きる道を選ぶのか。

今、聖火リレーの件でオリンピックが大混乱している一方で、実は人々の心の中も、どのような生き方を選ぶか、大きな混乱と迷いが生じている、そんな時代です。不安定で迷いやすい今の時代に、イエス・キリストを信じる信仰を与えられていることは、本当に幸せなことです。私たちは、神様から自分に与えられたいのちを感謝して受け止め、精一杯いのちの輝きを発して歩んで行きたいものです。信仰が、揺るぎない価値観として心の中にあることは、もの凄い恵みなのです。


値上がりの春! 2008年4月7日

この週末、西日本の桜は、例年に比べて若干遅めの満開の時を迎えています。入学入社シーズンの真っ只中を迎えて、街には新鮮な空気が漂っています。新入社員の皆さんでしょうか、真新しいスーツ姿の青年たちの姿も、よく目にします。

そんな新鮮な感覚をいろいろと見い出すことの出来る春の日々ですが、今年はあちらこちらで“値上がり”の話題を耳にします。世界的な、小麦粉を始めとする穀物や原油の値上がりなどの影響で、電気やガスを始めとして、様々な食品や生活用品まで幅広い層での値上げの話題が相次いでいます。

3月末での暫定税率の廃止でガソリンは値下げしたじゃないか、と言う方もおいででしょう。しかし、実際のところはそのことで不足する2兆6千億円の埋め合わせをしようとすれば、単純な話、どこかで増税するしかないので、これも実は困った話です。1リットルあたり25円の値引きを喜ぶか、赤ちゃんからお年寄りまで含めて一人あたり20,000円の増税を受け入れるかという話です。個人的な感覚では、自動車に乗って仕事をし、遊びに出かける人が、ガソリンを使う分に応じて税金を支払って、道路を整備してもらうというのが、元々一番すっきりする話だとは思うのですが。

この“値上がりの春”は、しばらく続きそうです。ここ何年もの“価格破壊”に代表される低価格競争の風潮の中で、何とか粘りに粘った各企業が、今こそチャンスだ、と値上げに踏み切りつつあります。やっと値上げできる、とホッとしている経営者も多いはずです。みんなそれぞれに頑張っていたように見えて、実は企業の体力もボロボロになるまで追い込まれていたという訳です。

無理なことを続けていても、結局、ツケが回ってきます。軌道修正の必要性を感じたら、早目に取り掛かることです。やせ我慢ばかり繰り返していると、人生そのものが汲々(きゅうきゅう)としてきます。神様に向き合う信仰生活は、いつも自分自身のあるべき姿に気付かせてくれます。新鮮な感覚に溢れる春の日々を迎えて、私たち自身も新しい感覚で成長を心掛けましょう。神様が期待しておられるあなた本来の姿へと、一歩でも二歩でも近づこうではありませんか。


新しい一年を満たす良質な時間! 2008年3月31日

桜の開花前線は、いつも南日本、西日本の方が先とは限りません。意外に東京での桜の開花は早いので、今年などは、南国の松山ではまだ一分二分といったところなのに、すでに満開だというニュースが流れていました。いずれにせよ、ここ数日の陽気で一気に、各地に桜色の空気が溢れるようになるはずです。カレンダーも3月から4月へと進んで行きますし、文字通り、春からの新しい一年の始まりとなります。

私たちの日々の生活の中に、信仰が息づいているのは、実に幸いなことです。アンケートを頼まれて、ただ何となく書き込む“宗教”の欄のキリスト教ではなく、仏教ですか、神道ですか、それともキリスト教ですかと問われて3択の中の一つとして仕方無しに消去法的に選ぶキリスト教でもなく、クリスチャンとしてしっかりと生きる事実が伴う信仰であることは、大きな宝物なのです。

一回一回の礼拝の中で、毎日の聖書の通読の中で、また家族との祈りの中で、心の中に聖霊が流れ、主キリストの愛に触れるという体験を、私たちはそれぞれに積み重ねている訳です。それぞれの経験は、決して特別なものではないにしても、小さな事実を積み重ね、価値ある習慣を形作ることができ、それが平安と愛のある心構えや恵みの流れのある生活を実現することになるのです。

最近の耳目を引く事柄の中で、誰でもよいから殺したかった、というような通り魔的な恐ろしい犯罪が連発しています。今まで、ごく普通の生活をしていたはずの人々が、突然、何の関わりもない人々を殺傷するという事件が起こっています。駅で包丁を振り回し、見知らぬ人を電車が近づいて来る駅のホームから突き落とすのです。昔から極悪犯罪人であった犯人たちではありません。私たちと変わらない普段どおりの生活をしてきたはずが、毎日の生活の中で、心が少しずつ歪んでしまい、とんでもない結果となってしまったのです。

大きな出来事だけでなく、毎日、どういう質の時間にさらされているかということが、私たちの心には重要なことなのです。良質な時間に、心を浸すことが大切。新しい一年の歩みの中でも、自分の心と魂が主キリストの臨在される真に良質な時間に触れていられるように注意しましょう。“キリストの愛が私たちを取り囲んでいる”・・・そんな霊的な環境を大切にしましょう。


桜の季節への心構えを! 2008年3月24日

3月も、残り一週間ほどとなりました。まもなく桜の季節が始まります。日本人である私たちにとっては、この桜の花の咲く頃は、特別な意味を持つ時期です。入学や就職、新しい旅立ちにまつわる季節感が街中に溢れるからです。

あなたの心もいつまでも冬を引きずっていないで、新しい季節の風を感じるものとなりますように。これから日一日と、急速に暖かくなるはずです。さあ、新しい皮袋を主からいただいて、新鮮な祝福をいただく準備をしましょう。あなたの周囲だけが新しくなっても意味がありません。あなた自身が、価値ある新鮮さを満喫することができますように。

今日は、イースターの聖日。私たちクリスチャンにとっては、クリスマスと並んで、いえ、もしかするとそれ以上に盛大にお祝いするにふさわしい日曜日です。クリスマスが、救い主キリストが私たちのためにこの世に来られ生まれて下さったことをお祝いするのに対して、イースターは、十字架で私たちの罪を背負って死んで下さったキリストが、死の力を打ち破って甦られたことをお祝いする時です。この主キリストの復活があったからこそ、私たちもこの世でのはかない人生を生きるだけでなく、神様のもとでの永遠の命の希望を持って生きて行くことができるのです。たとえ死んでも大丈夫、と宣言できる根拠があるのです。

あなたの人生が、倒れたままや行き詰ったまま、あるいは死んだままで終わることがありませんように。キリストのご生涯は、十字架の死で終わるのではなく、復活によって締めくくられるのです。同じように、私たちも、絶望や死を終着点とする存在ではなく、希望と命に向かうべき存在なのです。

冬から春へと、季節は確実に動いています。まもなく春爛漫という日々となります。あなたの心も、冬の時代から、命の溢れる春へと着々と動いて行くべきです。そして、主キリストによって、死が最終到達点であった暗い生き方から、どんなことがあっても命が支配する本当の明るさを持った世界へと、私たちはみんな移していただくのです。

イースター、おめでとうございます。あなたの心にも、死を打ち破る真の復活の力が、神様から与えられますように。新しい新鮮な希望の日々が動き始めますように。甦りの主が、どんな時もあなたと共にいて下さいますように。祝福を祈ります。


東南アジア・コンサート伝道ツアーは大成功でした! 2008年3月17日

前回の週報でもご報告したとおり、去る3月3日(月)から13日(木)にかけての10日間、東南アジアの3都市を巡るコンサート伝道の旅に出かけてまいりました。この音楽を用いての新しい伝道のために、多くの兄弟姉妹たちにお祈りいただきましたことを心から感謝申し上げます。

クアラルンプールから始まったツアーは、フィリピンのマニラ、そしてコタ・キナバル(マレーシアのボルネオ島)と移動しつつ、各地でのコンサートを開催させていただきました。教会でのコンサートはもちろんのこと、一般の会場を用いてのものや、同行してくれた日比野則彦兄率いるミュージシャンたちのジャズ・クラブでのパフォーマンスや、講習会、それにテレビやラジオへの出演・・・と、文字通り与えられた日程をフルに活用しての大忙しの10日間となりました。

今回のツアーの目的の一つに、レイモンド・ムーイ先生が理事長として設立したライフ・カレッジの宣伝と奨学金制度確立のための基金募集というものがあったのですが、支援の必要な学生のための奨学金も沢山集まりました。また、こういう音楽などを通してでなければ普段情報を伝えることのできない一般社会の人々と、特にイスラム教徒であるマレー人たちにもこの大学のことを宣伝することができたのは大きな収穫でした。

マレーシアのイスラム教徒たちに対しては、直接、福音を語ることは完全に禁じられていますので、私も言葉を選びつつ、しかし、歌う歌の歌詞はしっかり讃美歌で・・・と、今までに無い緊張感のあるコンサートをさせていただきました。マニラやコタ・キナバルでのメッセージにおいても主が共にいて働いて下さり、聖霊の臨在のある素晴らしい集会となりました。全く初めての試みにも関わらず、それぞれの会場で300〜500名の方々が集まって下さいました。

日本中のミュージシャンたちがしたいと願ってもなかなか実現できない、世界規模でのツアーを、何といともあっさりと実現させて下さった神様に心から感謝しています。今までの20年に及ぶアジア各地での伝道も確かに大きな効果を生んでおり、その結果として、今回のような新しい伝道も着実に成功させていただいているのだと実感しています。私たちの伝道の働きには、確かに新しい可能性が満ち満ちています。あなたの上にも、この主からの躍動感の溢れた恵みが注がれますように。


日本人のクリスチャンであること! 2008年3月10日

兄弟姉妹のお祈りを、心より感謝いたします。先週の月曜から、新しい試みで、東南アジアの各地をコンサートを開きながら巡回しています。木曜日までが、マレーシアのクアラルンプール、金曜日にフィリピンのマニラに場所を移し、今日はマニラの教会での日曜礼拝の奉仕の場が与えられています。明日は、マレーシアのコタ・キナバル(ボルネオ島)へと移動し、2日間に亘ってのコンサート集会です。従来の伝道集会とはまた一味違った雰囲気での各集会となっています。クアラルンプールでの集会では、普段、キリスト教の集会には決して来ることのないイスラム教の人々まで集っていました。やはり、音楽という接点ならではの成果と言えるでしょう。

以前から、文化的なものを用いて人々と教会との接点を作り出していこうという試みは、何度も提案されてきたものなのですが、今回は、私たちの日本から持ち出した音楽ということが大変大きな興味を持って迎えられており、何だか新しい感覚が与えられています。どうも私たち日本のクリスチャンは、福音宣教の後進国というイメージが心に染み付いていて、日本には良いものがない、何でもかんでも外国から学ばなければいけないという感覚に縛られています。

しかし今回、同行してくれたミュージシャンたちの生み出すサウンドを用いての集会は、大成功。集まってくれた人々は口々に、やはり日本の最先端のものは違うね!と、最大限の評価をしてくれます。そうです、日本から来るものは、良いものが沢山あるのです。世界の人々を魅了する質の高さが、私たち日本人の、当たり前の生活の中には溢れているのです。教会の急成長や、クリスチャン人口の爆発的な飛躍はまだ先でも、私たちにすでに与えられているものの中にも、世界のどこに出してもおかしくないものが山ほどあるのです。

私たち日本のクリスチャンに与えられた良きものを活かして、ますます主キリストを証しするものとなりたいと改めて思わされました。アジアの街角には、日本製の自動車が溢れ、子供たちは日本のアニメや漫画、テレビゲームに熱中し、カップヌードルも大人気。世界を変える、新しい時代に通用する主キリストの福音が、日本から力強くアジアに、世界に向けて発信されても、何もおかしくはありません。今回の伝道旅行を通しても、ますます伝道に励むようにと、主によって心強められています。


なかなか難しい話ですね! 2008年3月3日

自衛隊の最新鋭のイージス艦が、漁船との衝突事故を起こして、2名の方が行方不明のままです。ここ数日は、自衛隊の幹部が、事故の当事者たちを、海上保安庁の捜査に先立って事情聴取していたとか、大臣もそれに関わっていたとか、それを隠していたとか、それが何かを隠蔽(いんぺい)するためであったのではないか、と大騒ぎが続いています。

なかなか難しい問題だと思います。とにかく、最近の事件では、何かが起こってからの初動の遅さや情報開示の遅さが問題とされます。ですから、自衛隊の幹部たちもとにかく事故を迅速に処理しようと考えたはずですし、トップの人々を中心に善後策をあれこれ模索したはずです。そうすると、今度は、防衛省内部で話し合ったのは海上保安庁を無視した問題行動だ、何かを隠そうとした魂胆があったのではないか、と糾弾(きゅうだん)される始末。

二律(にりつ)背反(はいはん)のなかなか難しい事態です。事故そのものは、起こるべきものではないし、起こらないように原因を徹底的に究明して改善すべきことは当然。しかし、現実的に事故が起こった時、どのように行動すべきかということに関しては、どうも何をしても怒られるばかりで、正解らしいものは無いように感じさせられる状況です。まさに、右を向けば、どうして右なんだ、左を向け、と言われ、左を向けば向いたで、なぜ右じゃないんだと叱られる始末。

私たちの生活や仕事の中でも、似たようなどうにもこうにも事が運ばない状況に出喰わしたり、相(あい)矛盾(むじゅん)するような論理の板ばさみになって、にっちもさっちも行かなくなるジレンマに陥ってしまうことがあります。実は、そんな苦しい状況の中でも、答えはやはり一つだと気付くことが大切。私たちは、正直に、どんな場面でも、神様に喜ばれることをなして行くのだといつも心を整えておくことです。

私たちの世界では場合によって、二律背反どころか、四面楚歌、八方ふさがり・・・と、いずれにしてもどこにも逃げ場がないような事態が生じることがあるのです。しかし、信仰者には、いつも神様を見上げるもう一つの方向が開かれていることを忘れてはなりません。すぐには人々に理解してもらえないこともあるはずです。しかし、私たちの神様は、すべてをご存知。神様の導きは決してなくなりません。小手先のごまかしや応急処置ばかりでは、結局疲れ果ててしまいます。祈りの中で、神様に喜んでいただけることを選び取りましょう。そして、信じて堂々と行動することです。


50年・・・半世紀に及ぶ恵み! 2008年2月25日

本日、松山の礼拝において、信仰歴の表彰式を持つことができることは、実に感謝なことです。例年、2月の最終日曜日には、信仰生活を20年、30年、40年と積み重ねて来られた兄弟姉妹たちのお祝いをする機会を持つようになりました。信仰生活の年限が長くなるからといって、それで特別偉くなる訳ではありませんし、年月の長短が神様の臨在の中での優劣に関係するものでもありません。それは重々承知の上で、しかしこんなにも物事がコロコロと変わりやすい昨今の世の中で、一つの信仰、一つの生き方をしっかりと継続出来ることは、共に祝福し合う価値のあるものです。

そして、今年の信仰歴の表彰には、特別大きな意味があります。それは、今回、初めて50周年のお祝いをすることができるからです。すでに、私たちの教会が、故万代恒雄牧師の伝道の開始により50周年の記念の時を共に祝ったのですが、それと共に、この教会での信仰生活をしっかりと50年間歩み続けて来られた姉妹たちがおられることは最高の喜びです。教会の制度や歴史だけでなく、この教会で分かち合われる信仰を実際に働かせて歩んで人生を築き上げた生き証人としての姉妹たちがいて下さるのです。

私たちの信じるキリスト信仰は、証しの信仰です。儀式や教えだけの宗教ではなく、個人個人の勝手な体験だけの宗教とも違います。始めに天地宇宙を造られた神様の愛が現わされ、主キリストの十字架と復活の事実があり、聖霊の働きによって、この救いの御業を実体験した人々が生きた証しを語り、それをさらに後に続く人々に伝えて続けて来た、生きた証しの連鎖なのです。

主キリストの時代から、すでに2000年近く・・・、世界の歴史の中でクリスチャンたちは理屈や能書きだけでない、事実を伴った歩みを積み重ねて来ました。そして、私たちの教会もその価値ある歴史の中の50年、半世紀という大きな時間を担うことができました。本当に、感謝なことです。ここまで、私たちの歩みを支えて下さった主ご自身の恵みを感謝しつつ、今回のお祝いの時を迎えられたお一人お一人の上に、さらに豊かな祝福をお祈りいたします。


責任の大きさにビックリ仰天! 2008年2月18日

先日、ダスキンが展開するミスタードーナツの無許可添加物を含んだ肉まんの販売に関連して、当時の経営陣13人に対する総額53億円にも上る損害賠償を命じる判決が確定しました。平成12年に、日本国内では無許可の添加物の入った中国製肉まんを、それと知りながら約300万個販売したというもの。

実は、私、このミスタードーナツの肉まんのついた飲茶セットは大好きで、よく食べていました。それで、この事件は印象に残っています。ドーナツ屋さんでの、肉まんや坦坦麺という妙な組合わせが案外気に入っていて、仕事の合間によく口にしていました。最近話題の中国製の餃子と違って、具体的な健康被害が出た訳ではなかったはずですが、その事件の結末はビックリするような金額での、当時の役員が自社に対する損害賠償という形で決着しました。

当の役員たちも、自分の目先の決断が、何億、何十億円の賠償を請求されるものだと知っていれば、対応の仕方も違っていたかもしれません。いくら有名企業の役員だからと言っても、アメリカの企業の経営者のように年間何億円も給料をもらっているはずもないのです。計算上では、どうあがいても支払える当ても無い賠償額を請求されてしまった訳です。

最近は、こういった巨額の賠償命令が出されるような経済事件が発生するようになりました。何かに付け大金が動く時代だからこそ、犯罪性のあるものにはきちんと歯止めをかけておきたいという当局の思惑もあるようです。私たちも、自分の関わることについて、信頼できる大人としての責任をいつも自覚したいもの。人を責めたり、自分の権利を主張することばかりが上手で、あまりにもわがままな人間になってしまわないことです。

クリスチャンである私たちの幸いは、いつも神様の御前に悔い改めの心で進み出ることができること。誰も完璧ではありませんし、心配が多いのも事実です。失敗も度々犯してしまいます。しかし、そんなときに、素直に悔い改めて祈れることは、大きな祝福です。何よりも、悔い改める私たち一人一人は決して一人ぼっちではなく、救い主キリストが、私たちと共に祈りの場にいて下さるのです。与えられたいのちを、しっかりと生きる責任を忘れないでいましょう。正直に神様に向く私たちを、神様ご自身が支えて下さいます。


アジア各地からA Happy New Year! 2008年2月11日

先週後半、アジア各地の友人たちから、“A Happy New Year!(新年おめでとう!)”というメッセージが入ったメールが届きました。複数のメールですから単なる間違いではなく、とぼけている訳でもなく、もちろんエイプリル・フールのような悪ふざけでもありません。コンピューターのメールですから、届くのにひと月以上かかってしまった年賀状というのではありません。

実は、去る2月7日(木)は、旧暦のお正月にあたる春節。中国本土はもとより、アジア各地に住む中国系の人々、いわゆる華僑の人達は今でも旧暦での生活習慣を持っています。その習慣から、日本人の私にも、と新年の挨拶を送ってくれたのでした。しかし、2月もすでに半ばを迎えようかというタイミングで、“新年おめでとう!”は、私にとってはどうもピントはずれ。日本では、みんながごく普通に仕事をし、学校に通う日々ですから、当地がお正月気分で溢れていることは、何だか想像するのも難しい感覚です。

私たちが普段使う西暦カレンダーの1月だけがお正月なのではなく、そもそもカレンダーが異なれば、異なった時期でのお正月となる訳です。基準となるカレンダーがもともと違うのですから、お正月もずれてしまいます。世界の文化や国民性の多様性を感じさせられる事例です。

そういえば、ブラジルへ行った時など、南北が逆さまになった世界地図を見ました。南半球がいつも下にあるのは、どうも現地の人には面白くないようです。また、北半球が上の世界地図でも、欧米に行くと決まって大西洋が中心にある地図の配置となっています。私たちにお馴染みの太平洋が中心の地図ではありません。そうなると、日本は、世界の東の果て、文字通り、極東に位置しています。それも、地図の図法によっては、大きく歪んだ姿で・・・。

私たちが当然だと思い込んでいるものも、見方や基準が変われば全く異なった見え方になります。多種多様な見方、考え方が存在するのだと心を柔軟にしておく必要があります。自分の考え方しか受け入れられない、窮屈な心から解放されたいものです。また同時に、私たち人間の持つ視点が正しいのだと決め付けるのではなく、神様からの物事の見え方があることを思い起こしておきましょう。私たちの身勝手を押し通すのではなく、神様の基準に自分を合わせることで、初めて見えてくる人生の本当の姿というものもあるのです。


ごまかしでは、幸せは遠のきます! 2008年2月4日

「中東の笛」と呼ばれる偏った判定が原因となって、国際ハンドボール連盟の指示のもと、北京オリンピックへのハンドボール・アジア予選がやり直しとなりました。今まで、マイナーなイメージの強かったハンドボールですが、連日の報道によっていきなり脚光を浴びることとなったのはご承知の通り。当日の試合会場も大盛況、大興奮となりました。

それでも、残念なことに、日本チームは、女子も男子も、韓国チームに撃破されてしまいました。世界最終予選という最後のチャンスは残っているようですが、オリンピック出場への道は決して平坦ではありません。漫画の筋書きのようには、なかなか事は運びません。

しかし、敗れはしたものの日本選手の多くが、公正な審判の元、正々堂々と全力で試合できたことに充実感を覚えたようです。日本女子チームなどは、取り消された先の大会では韓国チームには勝っていたのです。しかし、それが中東のチームに勝ちそうな韓国チームを事前に敗退させる思惑からの「中東の笛」による勝利であることを察して、勝利にもかかわらず試合後には恥ずかしささえ覚えていたようです。今回、実力勝負で真正面からぶつかり合えたからこそ、敗北にもかかわらず、流した涙にはすがすがしさが伴っていたのです。

やはり姑息(こそく)な手段を使って勝利をつかもうとしても、それは空しいものなのです。卑怯な方法で勝利を手繰り(たぐり)寄せても、本当の満足感は得られません。フェアプレー精神が根底にあるスポーツでは当然のことで、ましてや、私たちの人生に関わることであればなおさらのことです。手段を選ばず、上手くやってしまえば良いといった風潮が今の世の中には溢れていますが、そういう目先の利益だけで動いていると、人生全体を空しいものにしかねません。

毎週の礼拝の中で、神様に向き合える私たちは、実に幸いです。中途半端で弱さを抱え込んだ私たちですから、ちょっとしたことで歩む道を踏み外したり、間違いを起こしたりしてしまうものなのです。ですから、神様の臨在の中で、心を整えられ、取るべき行動の指針を与えられて、正しい方向に力を発揮することができるのは幸せなことです。今日の、この礼拝の中でも、神様は私たち一人一人に語りかけて下さいます。神様からの知恵やアドバイスをしっかりと受け止めて、今週も恵みに溢れた日々を体験してまいりましょう。


すべてにまさる名! 2008年1月28日

東京の街を歩いていると、確かに世界で最高のものが集まっている場所であることを実感します。世界最高級のブランド・ショップが軒を連ねる通りもあれば、最近日本版ミシュランの発行で話題を呼んだ3つ星レストランがごく普通にそこにあります。田舎町ではなかなか目にしない、昔スーパーカーと呼ばれた高級スポーツカーが平然と走っていますし、六本木、渋谷、秋葉原、原宿・・・と最先端の流行の発信地が意外とすぐ近くにあります。

出会う人々にも一流の人々が・・・。テレビや新聞でしか知らなかった国会議員の先生方ともお会いしますし、中央省庁の官僚として大活躍中の方々や、成長著しい企業の社長さんたちなど、やはり東京ならではの人材が溢れています。目の前のコンサート・ホールでは、テレビでしか見たことのない世界的な音楽家のリサイタルがその時開かれていたり、ふと立ち寄った書店で有名作家のサイン会が偶然開かれていたりすることがあります。田舎育ちの私にとっては、いかにも東京だ、と感じさせられるような場面が多々あるのです。

しかし、そんな世界最先端の街を歩きながら、ふと思わされました。・・・でも、私たち一人一人には、すべてのものにまさるものが確かに与えられている・・・と。聖書は、土の器のように素朴で価値のないように見える私たちでありながら、魂の内側にはかけがえのない宝が与えられているのだ、と語っています。そして、決して立派とは言えない、土の器のようなものだから、その宝の輝きが外へ外へと輝き出るのだ、と。

忘れないで下さい。私たちには、すべてにまさる名が与えられています。思い出して下さい。あなたには、すべてのものにまさる救い主イエス・キリストがいつも共にいて下さるということを。どのような状況に置かれていようと、あなたが主キリストの御名によって祈るならば、神の恵みはあなたの上に豊かに注がれるのです。あなたがどんなに自分のことを小さな存在だと考えていようと、否定し難い事実として、世界の何ものにもまさる主キリストの御名は確かに与えられているのです。

あなたも私も、人生の中に奇跡を起こし得る世界最高の力、権威、すなわち、すべてにまさる名が与えられています。いつもないものねだりばかりしていたり、他人のことを羨ましく思うばかりの寂しい生き方ではなく、このクリスチャンに与えられた特権を用いる生き方を実践していきましょう。あなたも、家族のために、仕事のために、健康のために、将来のために、すべてにまさる名を用いて祈ってみて下さい。


天国へ凱旋する信仰! 2008年1月21日

去る1月16日(水)の深夜、かねてより脳腫瘍で闘病中であられた中野英子姉が天に召されました。昨年の若葉の季節まで元気に礼拝にも出席しておられましたので、寂しさもひとしおです。と同時に、別れの辛さの涙、溜め息だけで終わるのではなく、主キリストが約束して下さった永遠のいのちの希望をしっかりと思い起こしたいと思います。

40年の信仰表彰を越えて信仰の歩みを続けられた、愛する姉妹でした。今回の姉妹の召天にあたり、特に感謝したいことの一つは、ご本人がしっかり遺言を残してくれたことです。クリスチャンとして、自分のこの地上での歩みには責任を持ちたいと誰もが思っているのですが、いざと言う時になると、自分ではきちんと遺言などを残すことができなくなっていることが実際には多いのです。

用いて欲しい聖句や聖歌など、葬儀での希望がきちんと記されており、説教者である私には参列者に対して分かりやすい伝道メッセージを語って欲しいとあり、昨日の告別式ではそのとおり精一杯語らせていただきました。信仰歴の欄には、昭和36年(1961年)、私たちの教会の開拓初期に中島での伝道で初めて集会に導かれたことや、教会の10周年記念の市民会館での伝道集会の記録などが記されています。教会の歴史と共に、着実に歩んで下さったのでした。

早期退職後には、頑張ってアンデレ宣教神学院で学ばれ、卒業後は司書として図書館のお世話もコツコツと進めて下さいました。もちろん、この週報の制作に関わる奉仕も粘り強く40年近く継続して下さいました。思い返せば私が中学生の頃、教会学校で毎週接していただいたのも中野姉妹でした。

私たちは、つい自分の必要が満たされることや、恵みをいただくことばかりを信仰の世界で求めがち。しかし、信仰生活の本当の深みは主に仕え、主の働きのために自分を献身させてこそ味わえるもの。今回、一人の姉妹を主の許にお送りして、改めて、天国に凱旋する信仰ということを考えさせられました。私たちの教会には、そんな強い信仰が生きています。私たち一人一人が、決して派手でなくても構わないけれど、確実に天国に繋がる信仰を継承するものでありたいと思います。


そろそろ真剣に動かして行きましょう! 2008年1月14日

動き始めた2008年も、間もなく2週間。ふと気が付けば1月も半ばです。そろそろあなたの2008年が軌道に乗って動き始めて良い頃です。お正月に様々な夢や計画を心に抱くことは、自分の頭や心の中のことですから、比較的簡単。本当に重要なのは、これからの実生活の中で、あなた自身が、願った夢や目標をかなえるために本当に行動し始めることができるかどうか、ということです。

ですから、この1週間は、とても大切な時なのです。大学受験のためのセンター試験が目前に迫った受験生だけでなく、この1週間の過ごし方が大きな意味を持つようになります。仕事や教会での奉仕、家族との計画や個人的な目標・・・と、様々な分野での計画を持つ私たちですが、この1週間の時間の中で、ただ夢を夢のままで放置するのではなく、どれほど小さな事であっても、着実に形にしていくことが大切です。

ゴルフの石川遼選手が、プロ・ゴルファーとしての登録をしたそうです。高校生だ、アマチュアだ、という扱いから抜け出して、これからはプロとして戦っていくことになります。そこで、同じ大会でもアマチュアのままでは、賞金を手にすることができなかったのですから、これからは大金を稼げて良いのでは、と考えるのはいかにも素人。いざプロになれば、今までは高校生だから、アマだから、とどこかで優しく笑顔で接してくれた先輩のゴルファーたちもこれからはプロ同士の戦いとして本気で立ち向かってくるはず。今までのちやほやされたアマの時代とは、全く状況が変わってくるはずです。本気で勝ちに行かなければなりません。

しかし、誰にとっても自分の成長のためには、打ち破るべき殻があり、乗り越えるべき壁があります。一人のゴルファーがアマからプロへと、戦いの場を押し進めていくように、私たちも慣れ親しんだ状況の中で安穏と暮らすことで終わるのではなく、自分の中に与えられている賜物をさらに発揮してそれぞれに前進していきたいものです。そのためには、2008年の歩みも、そろそろ新しいモードで生活のリズムを作り上げていくことが大切。

お正月の休みの間には、祈るあなたの心の中に、神様からの素晴らしい語りかけがいくつも届いていたはず。お正月休み限定の夢で終わらせるのではなく、これからの実生活の中で一つ一つ実現してまいりましょう。さあ、そろそろ2008年の歩みを、本気モードへと切り替えてまいりましょう。


2008年、恵みの流れの中を歩もう! 2008年1月7日

新年、明けましておめでとうございます!
あなたの新しく動き始めた一年に、単に人の知恵によるものではなく、神様からの豊かな祝福が注がれますように、と祈ります。また、すでに新年聖餐式礼拝や祈祷会などでご挨拶できている兄弟姉妹には、改めてこの一年を大切に祝福の一年として共に歩んでまいりたいと願っています。素晴らしい一年を、信仰を込めて期待してまいりましょう。

変化の激しく、今まで思いつきもしなかった事柄が起こる激動の日々です。最近では、世界的な規模で“空気”まで大きなビジネスの道具となってきました。ご存知のように、温暖化など、地球規模での環境問題が大きく注目されるようになってきましたが、温暖化対策の中で二酸化炭素の排出量を規制しようという大きな流れがあります。京都議定書に定められた削減目標を達成するためには、工業の先進国はどこも経済発展と環境保護という相反する要素の多い課題と取り組む必要が生じています。

そこで最近、二酸化炭素の排出量の少ない国々の“権利”を売買しようという流れが生まれてきたのです。二酸化炭素の規制を十分に行いにくい国や大企業などが、この権利を買うことで何とか辻褄(つじつま)合わせをしようとしている訳です。掴み所のない“空気”を相手にするのですから、素人目にもその計算がどれほど確かなものなのか甚(はなは)だ疑問なのですが、いずれにせよ莫大なお金が動くビジネスに発展してきているようです。
そんな時代ですから、あなたの生活や仕事の面でも、今までの常識や経験では考えられないような変化や新しい事態が生じてくるはずです。変化に出くわして、呆(あき)れたり、慌てふためくだけでなく、その荒波の中でも元気に生きていける本物の力強さを持ちたいものです。そのためには、やはり心の内側から、魂の奥底から私たちを元気にしてくれる本物の力の源が必要。そう考えれば考えるほど、信仰を与えられている恵みの大きさを感じずにはおられません。今のような時代だからこそ、信仰者の底力が輝くのです。

あなたの歩みを底支えして下さる神様がおられることを決して忘れぬように。いつも主キリストご自身の御手が、あなたのために働いて下さることを期待しましょう。あなたの周りには、あなたの信仰によって祝福にあずかる人々が続々と生み出されることを信じましょう。2008年、ご一緒に、神様が共におられる恵みの一年を歩みましょう。


素晴らしい一年でしたね! 2007年12月31日

2007年、最後の聖日、最後の礼拝を迎えました。この一年の私たちの歩みの上に現された神様の恵みを忘れず、心の中にしっかりと感謝を意識したいと思います。確かに、私たち人間は感情の動物です。だからこそ、折々のけじめとなる時には、特に意識して、神様に喜ばれる思いで心を満たしましょう。それが、実は私たち一人一人にとっても、幸せをもたらす鍵となるのです。さあ、感謝しましょう。

一年365日、歩み始める時はいつも十分に長いように思うのですが、終わりにはいつも“あっと言う間”という感覚になるものです。私たちの“時”に関する感覚はどうも想像以上に不確かです。そんな、実は頼りない私たちだからこそ、一年の歩みの中に、52回の聖日礼拝を守って歩むことが、祝福と幸せへのリズムを生み出させるのです。
この一年の締めくくりとなる礼拝の中で、特に感謝したいことがあります。まず、私たちに何気なく与えられている日々や健康を、神様に感謝しましょう。今、日本人の平均寿命は世界的にも突出して延びているのですが、それと比例して幸せの度合いが深まっているかと言えばそうではありません。何気なく過ごすことの出来る日々には実は大きな恵みが注がれており、当たり前のように元気でいられることには、お金がどれほどあっても買うことはできない祝福があることを思い起こしておきましょう。

また、多くの人々に支えられてこの一年も歩むことが出来たことを、素直に神様に感謝しましょう。何事に関しても“私だけが・・・”とつ、い独りよがりの考えに取り付かれるのが不幸の始まり。自分勝手に孤立や孤独といった感覚を作り出してはなりません。あなたの周りには、あなたの味方が実に沢山いるではありませんか。あなたを応援し、祈ってくれた人々の存在を神様に感謝しましょう。

そして、神の家族である教会が、あなたの人生の中に確かに存在していることを感謝しましょう。21世紀の日本で、これから幸せになるためには、教会のある人生を歩んでいるかどうかが大きな意味を持つようになるはずです。神の家族である兄弟姉妹たちとの交わりの中で、あなたの魂は普段忘れている霊的な深呼吸をすることができているのです。教会のある人生って本当に素晴らしいですね。

あなたをいつも愛し、見守り、支え、全ての出来事の中で確実に働かれる神様に導かれた一年でした。さあ、感謝、感謝。感謝の心で締めくくりましょう。


キリストの恵みの連鎖反応! 2007年12月24日

クリスマス、おめでとうございます!
この2007年のクリスマスに、あなたにも主キリストからの祝福が、本物のクリスマス・プレゼントとして届けられますように。文字通りのメリエスト・クリスマス。最上の恵みが注がれる時となりますように、と祈ります。

経営者としてバリバリ仕事をしている私の友人の一人が先日入院して、手術を受けることになりました。休むことを知らない仕事人間としては、入院の数日間は特別な経験だったようです。その彼が曰(いわ)く、「入院中にずっとテレビを観ていて、朝から晩まで暗いニュースの連続で精神的に疲れた。」元気になるために手術して入院、回復のための日々で、ニュース漬けになる内にすっかり疲れてしまったというのです。

銃にまつわる事件が次々と起こっています。奇妙なことですが、一つ悪い事件が起こると、それに呼応するように似たような事件が起こるのです。東京では猟銃で5歳の男の子が2歳の弟を撃ち殺してしまったり、長崎・佐世保では二人が犠牲になった散弾銃の乱射事件、また東京駅の警察官が拳銃自殺・・・。残念なことですが、悪の出来事は連鎖反応のようにあっと言う間に広まってしまうのです。

2007年は食品の偽装に始まり、政治家の政治資金付け替え問題など、様々な偽装事件が相次ぎました。まさに野火のように日本中を巻き込んで、広まった感じです。「偽」があれば「真」があってこそバランスも取れるはずなのです。しかし、「偽」はどこにでもあるのに、「真」は存在の事実すらわからないほど希少なものとなってしまいました。

2000年間に亘って、クリスマスが祝われ続けてきたのは、実は、主イエス・キリストの誕生を大きなきっかけとして神の救いが、恵みの連鎖反応を起こし続けたからです。悪や罪がはびこる以上に、神の救いと恵みが連鎖反応を巻き起こしたからこそ、2000年間、全世界を舞台に本物のクリスマスの祝福の渦を巻き起こし続けたのでした。

暗闇の世界だからこそ、今年のクリスマスも主キリストによる恵みの連鎖反応を期待しましょう。あなたの心に主キリストを迎え入れるその瞬間から聖霊の働きは始まり、あなたのみならず、多くの人を巻き込んで祝福の流れが生まれるのです。あなたの心のど真ん中に、主キリストの愛といのちが豊かに注がれますように。


真偽が問われる時代! 2007年12月17日

「今年の漢字」として選ばれたのは、やはり「偽」の一文字。私自身も、選ばれるとすればこの文字だろうと、あちらこちらの集会でも語っていたとおりの、この一年を象徴する大本命の漢字でした。ひき肉や地鶏の偽装に、白い恋人に赤福の日付の偽装、高級料亭船場吉兆・・・と、連日のように食品に関する偽装問題が報道されています。それに加えて、政治と金にまつわる話題も山積していますし、防衛庁収賄疑惑もまだ深い闇です。

「人」の「為す」ことには、確かに偽りが多いのでしょう。皆が完璧なのに、中に例外的に罪深いことをした人がいたという話ではありません。ちょっとした嘘やごまかしも似たようなものだと考えれば、私たちも五十歩百歩です。どうしても私たちは嘘や偽りと縁を切ることが出来ません。聖書は、私たち人間にとって罪は宿命的なものであると語っています。

では、問題は、「偽」の対極にある「真」は可能なのか、ということ。私たち人間に目を留めていると、自信を持って「真」を語ることは出来ないように感じてしまいます。この感覚は、決して弱気なのではなく、誰にとっても正直な感想であるはずです。私たちの強さや確かさからは、理想として取り扱うことはあっても、究極的に信頼に値する100パーセントの「真」を語ることは出来ないのです。

そんな私たちが注目すべき言葉が聖書にあります・・・“すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた”(ヨハネ1:9)。確かに、この世界に住む、全人類のための「まこと(真)」の光が存在すると語られています。クリスマスに私たちが誕生を祝う、救い主イエス・キリストのことです。偽りの満ちたこの世界に、色褪せることのない「真」が現われるというのです。

イエス・キリストのこの世界への到来がなぜそんなにも素晴らしいのか、なぜ2000年経った今も祝い続けるのかと言えば、この救い主によって暗闇の支配する世界に、真の光が輝き始めたからなのです。不確かさやいい加減さが蔓延する世の中が、主キリストの光に照らされる時、本当に真偽の区別が明らかにされるのです。世の中は、ますます真偽、真贋が問われる時代になります。「偽」の多様性が増す中だからこそ、主キリストがもたらして下さる本格的な「真」をしっかりと受け止めましょう。


心の中の飼い葉桶を整えよう! 2007年12月10日

12月も、早くも中旬となろうとしています。いつのまにかあなたの生活も年末特有の慌しさの中に置かれているのではありませんか?不思議なことですが、この頃になると何故だか街中の道路が渋滞がちです。普段なら10分で行けるはずのところが、20分も30分もかかったりするのです。年末の集金でみんな走り回っているのでしょうか、それとも、挨拶回りで大忙しなのでしょうか。忙しさは道路の状態だけでなく、一人一人の手帳も忘年会などのスケジュールで一杯です。その上、家族のためのクリスマス・プレゼント選びも忘れてはならず、忙しさに拍車がかかります。もちろん、クリスマスの各集会に関わっておられる兄弟姉妹は、練習や準備がいよいよ正念場。睡眠不足に陥りながらも頑張っておられる人もいるはずです。

そんな忙しい私たちが、絶対に忘れてはならないことがあります。それは、どんなに忙しくても心の中に主キリストの居場所をいつも確保しておくこと、です。日本人である私たちにとっては、この“忙しさ”ということが本当の幸せを実現するためにはいつも大敵となるものなのです。“心”を“亡(な)くす”と書くように、忙しさは単に仕事の量や、働きの慌しさに関わるものではなく、幸せを実感する心の状態に深く関わるものだからです。

年末を迎えて、たとえどれほど忙しくなったとしても、心の中に主キリストをお迎えするゆとりだけはきちんと確保して下さい。それを失くしてしまうと、文字通り、忙しさの中に埋没して、どれほど仕事をこなしお金を儲けたところで、幸せとは程遠い人生を歩むことになってしまいます。

主キリストがこの世界にお生まれ下さった時、ベツレヘムの町で“宿屋には彼らのいる場所がなかった(ルカ2:7)”と聖書は語ります。家や宿屋の立ち並ぶ町であったにも関わらず、肝心(かんじん)要(かなめ)の主イエスをお迎えする場所がなかったのです。それほど当時の町の生活にも慌しさが溢れ、忙しさが、蔓延していたのでした。そこで、主は仕方なく飼い葉桶の中に置かれたのでした。

21世紀の日本、クリスマスの高揚感が街中を包み込んでいます。しかし、残念ながら主キリストをお迎えするゆとりがこの社会にはなく、人々の心も忙しさや煩わしさで一杯になってしまっています。あなたの心の中に、主キリストをお迎えする場所を用意することをお忘れなく。たとえ粗末で汚い飼い葉桶のようなあなたの心であっても、主は、主のために整えられた場所に宿って下さいます。さあ、この礼拝でも、主をお迎えしましょう。


誰の心にも分かりやすいキリストを! 2007年12月3日

レイモンド・ムーイ先生をお迎えしての、今年3回目の癒しのセミナーが去る11月29日、30日に東京で開催されました。急に冷え込んだ東京での2日間だったのですが、皆様の祈りに支えられ、大成功の大会となりました。聖霊の臨在の中での、祝福が濃厚に示された集まりであったことを心から感謝しています。

何と言っても、集まって下さった方々の目がきらきらと輝いていることが、この集会の恵まれた模様を物語っていました。単なるキリスト教の集会に来たのではなく、キリストのおられる所に共に集うことが出来た喜びが、参加者の顔に現われていました。聖書の語るとおりのイエス・キリストを信仰によって意識するだけで、そこには御言葉の約束のとおりの御業が現わされるのです。21世紀の今でも、そうなのです。

聖書の中のイエス・キリストは、『・・・全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された』(マタイ4:23)とあります。あなたの頭の中でしっかりとイメージしてみて下さい。そこには、難しい教えを語るのでもなく、人を裁くのでもない、誰の心にも分かりやすいメッセージと力強い御業をもってストレートに人々に関わって下さるありのままの救い主の姿が示されています。

キリストの行かれる所ではどこででも、本物の救いがあり、本当の癒しが起こりました。誰もが、生きて働かれる神の御業を体験したのです。主キリストの示された神の恵みは、誰にとっても分かりやすいものだったのです。難しい理屈や困難な修行の積み重ねの宗教とは全く違うものだったのです。

ここ松山からもさほど遠くない香川県の坂出で、行方不明となっていた祖母と孫の二人が殺されて発見されました。犯人がなかなか判明せず、謎の多い事件だったのですが、捕まってみれば親族の一人が犯人で、身内での長年に亘る金銭トラブルが原因だったとのことです。身内が殺し合うことも、小さな子供たちまで惨殺することも、またお金がらみのトラブルだったということも、いかにも今どきの悲しい事件です。

そんな現代特有の暗闇が広がる時だからこそ、聖書が語るとおりのキリストを一人でも多くの人々に伝えたいのです。さあ、12月です。クリスマスの集会が各地で始まります。誰にでも分かる救い主、救いと癒しの御業を人々に伝えてまいりましょう。


変わらないものの価値! 2007年11月26日

最近、空港や駅の売店で人気の弁当に、“どこででも”と言って良いほど、鯖寿司が売られています。それも焼き鯖のものが圧倒的な人気です。ものすごい手間がかかっている訳でもなく、また特別なグルメの食材というのでもありません。焼き鯖が、生姜やシソのあしらわれた寿司飯の上にドンと乗っているという分かりやすいものです。もちろん、それが綺麗にパックされている訳ですが・・・。

最初は、何だか当たり前のものだな、と眺めつつ、一つが800円から1000円もするものですから、自分では手を出さなかったのです。それが、最近はちょこちょこ買って食べるようになりました。食べてみると、確かに予想通りの焼き鯖の味なのですが、妙においしく感じるのです。

私たちの子供の頃からのイメージからすれば、鰯や鯖と言えば、別に大した食材ではありませんでした。むしろ、庶民的な感覚が溢れているものでした。それが、今では、何だか脚光を浴びています。“関鯖、関鯵”に代表されるようなブランド魚としてもてはやされたり、当たり前の焼き鯖がちょっと気の利いた旨いものに数え上げられています。寿司飯の上に乗っけただけで、1000円もするようになってしまいました。

最近流行の、凝りに凝った有名フランス料理店の超豪華グルメ料理や新食感の新しいデザートも良いのですが、日本古来の素朴な味も、捨てがたい魅力があります。いつもいつも目新しいものを探さなくても、昔ながらのものの中にも良い物は山とあります。ただ、空港で買った焼き鯖寿司をひっくり返してみると、肝心の鯖がノルウェー産と書かれているのは、いかにも今どきで、でもちょっと淋しくなりますが。

世の中では、幸せになるために、いつも新手の占い師や、霊感グッズが大流行です。スピリチュアル・カウンセラーなる怪しい人々がテレビには毎日のように登場しています。まるで流行歌のように流行り廃れを繰り返しています。しかし、考えてみれば、私たち人間の幸せの法則に流行り廃れがあること自体が奇妙なこと。人間の本質はほとんど変わっていないのですから、幸せの法則も本当は何ら変わっていないはずなのです。2000年経っても、主イエス・キリストが救い主として私たちの世界に来て下さった恵みの大きさは変わりません。キョロキョロ目移りするばかりでなく、今も変わらぬ主キリストの恵みをこのクリスマスにも体験しましょう。


与えられた時間を有効に! 2007年11月19日

去る11月15日(木)、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから、丸30年が経ったと報道されていました。普段は、七五三の話題が取り上げられる日ですが、子供たちの成長を願う日に、全く訳も分からないまま失踪状態になった子供がいたということです。帰るはずの時間になっても戻らない娘のことを心配し始めた時の、母親である横田早紀江さんの心中を思うとまさに、胸が潰れる思いです。

それがただ一日や二日のことではなく、30年も続いているということ。胸を塞いだ悲しみがずっとうずき続けているということです。考えてみれば、めぐみさんとは、同じような世代です。30年前というと、私は18歳、高校3年の時でした。翌年に控えた大学受験のことが、やはり最大の話題でしたし、それでもクリスマスの行事に目一杯関わりたくてうずうずしていたことをはっきりと思い出します。

それから30年間、実に様々な事柄が起こりました。私の大学時代も、アメリカでの日々も、そして“大人”としての時間の全てがこの期間にあります。もちろん牧師として皆様と過ごした時間の全てがこの期間に含まれます。もし、この30年間がなければ、と考えると私の人生の全てが無に帰すると言っても過言ではなく、そう考えると本当に恐ろしいことだと実感させられます。

幸いなことに、私の人生は主キリストによって導かれ、支えられ、ここまでやって来ることができました。普段は、当たり前と思っている時間の流れが、実は大きな恵みであったことを思わされます。そして、この何気なく感じる時間を大切に用いることこそが、与えられた人生を最大限に生き抜く秘訣なのです。

2007年の日々も、残すところあとひと月半足らず。この一年をどのように歩んで来たかが問われるところです。特別な努力もせずに与えられたこの一年の日々だったのですが、だからこそ感謝を込めて、喜びをもって歩むことが大事です。もちろん、すでに反省すべき事柄の多い方もおられるでしょうが、だからこそ、これからの残りの日々を大切に過ごすことです。仕事のこと、家族のこと、奉仕のこと、愛する人々への祈りのこと、伝道や証しのこと・・・私たちの生活の中の、真に大切な事柄をしっかりと成し遂げてまいりましょう。神様が与えて下さっている時間を心から感謝して過ごしましょう。


偽装クリスマスにNO! 2007年11月12日

去る11月8日(木)は、暦の上では“立冬”。冬の始まりということですが、何だか暖かな気持ちの良い秋の日が続いています。金曜日の午後、東京から松山へと戻って来たのですが、空港へ着くや否や他の乗客の方々から、暖かいですねという声が一斉に聞こえて来ました。到着直前の機内放送では、松山の気温は19度ということだったのですが、体感温度では確かにもっとありそうな感じでした。

しかし、いずれにしても11月も早、半ばを迎えます。教会でも、クリスマスに向けての準備が本格化して来ます。私たちの教会では、今年は、12月15日(土)の松山市民チャリティークリスマスを皮切りに、全国の兄弟姉妹たちと各地での計12回のクリスマス集会を計画しています。各地の集会の概要が、今、定まりつつあります。クリスマス・ブックの第6巻も出来上がりました。これから各集会のチラシや様々なご案内が出来上がって来ます。

そう、いよいよクリスマス・シーズンです。言うまでもなく、クリスマスは、主イエス・キリストの誕生を祝う時です。ボンヤリしていると世の中的な雰囲気に流されて、ショッピングやパーティーばかりに目が行きがちですが、本当はキリスト教会の最大級の行事であり、いわば最大のお祭りです。私たちの信じる神様が、私たちから遠く離れたお方なのではなく、私たちの住むこの世界に飛び込んで来て下さった本物の救い主であることを感謝する大切な時なのです。

単なる馬鹿騒ぎの、中身のない雰囲気だけのクリスマスではなく、本物の救い主のおられる真実のクリスマスを今年もご一緒に具体化したいと思います。最近は、食品の偽装問題が連日引きも切らずに報道されています。クリスマスは、もう日本では何十年も偽装されたまま、キリストのおられないままでまかり通り、それが常識化してしまいました。当然のことですが、そんな中身のないクリスマスをどれだけ盛大に祝ったところで、何の奇跡も起こる訳はありません。

日本では、今年で9年連続、自殺者が3万人を超えることが確定しました。悲しい連続記録の更新です。一人一人の心の中に、救い主である主キリストが必要であることは間違いのない事実なのです。私たちは、この2007年のクリスマスにも、声を大にして、また大胆に行動しながら、本当の幸せを与えて下さる主キリストを人々に語り伝えたいと思います。さあ、クリスマスです。私たちの出番です!あなたの出番です。


成り行き任せではダメです! 2007年11月5日

先日、政府が発表した「少子化社会白書」の報告は、何だか考えさせられるものでした。その中心となった話題は、日本の日本の総人口の推移の予測。2005年に1億2777万人だった人口が、このままの状況で推移すれば、50年後の2055年には8993万人になるだろうというもの。

子供の頃から、社会科の勉強では、年が改まり、統計が更新されるたびに、日本の人口は増えて行くのが当たり前でした。経済的にも、高度経済成長の時代でしたし、バブル期に向けて社会全体に勢いが溢れていました。何事も時間の経過と共に着実に成長して行くという、社会の基本的な流れがあったのです。

それが、これからの50年で3000〜4000万人も人口が減少するというのです。今でも、年金はもうパンク寸前ですし、医療保険や高齢者保護など、現状からの予測でも甘すぎるということでしょう。今まで、何となく成り行き任せでも大丈夫だったことが、これからは本気で取り組まなければ全く機能しないことになってしまいます。

私たちのそれぞれの生活の中にも、何となく安定しているという幸いな時期があるものです。それはそれでありがたいものなのですが、今の変化の激しい世の中、自分自身は安定しているつもりでも周りの変化の影響もあって、突然の波風にさらされることもあります。のほほんと成り行き任せだけで生きていてはだめだという状況が起こり得ます。

本当の幸いは、私たちがたとえそのような事態に出くわすことがあっても、主キリストの助けと導きがあるということ。ぬるま湯に浸かり続ける幸せではなく、たとえ激しい変化や大きな困難が降りかかることがあっても、主キリストの救いは全てのものに勝って豊かな祝福を保証するものであるということです。

今、困難や問題の中にある兄弟姉妹、さあ主の御言葉を信じて、しっかりと立ち上がりましょう。悪魔にやられっぱなしではなく、聖霊の力によって戦い、勝利しましょう。ここまで努力して来て、それでも築き上げて来た石垣が崩れているのに気付いたら、もう一度石を拾い上げて積み重ねましょう。主は、どんな時にもあなたの味方です。主は、あなたを支え、導き、必ず勝利へと導いて下さいます。成り行き任せではダメなのですから、主によって聖霊による新風を吹き込んでいただきましょう。


信仰は中身で勝負! 2007年10月29日

皆さんにとっての10月は、どのようなひと月だったでしょうか?私にとっては、かなり忙しい動きの日々となりました。9月後半のムーイ先生との特別集会の勢いのままに、様々な予定が山盛りだったのです。アンデレ宣教神学院のスケジュールが変則のものとなり、中旬にはアメリカ・ニューヨークへ出掛け、各地の特別集会や結婚式もあり、そして、先週は一週間ずっとマレーシア・クアラルンプールでの仕事でした。

しかし、忙しさの中でも本当に感謝だったことは、日本中また世界中で、同じ主イエス・キリストの救いに与(あず)かる兄弟姉妹たちとのビジョンや働きを共有できたことです。実に不思議な感覚なのですが、世界中どこに出掛けても、クリスチャンとして伝道に燃えよう、証しの立つ生き方をしよう、と話し始めると民族や国籍、文化の違いは吹っ飛んでしまいます。主キリストの救いは、確かに本当に同じ救いを一人一人の内側に実現しているのだということが心底実感出来るのです。変化の激しい世の中にあって、本当に変わらない価値あるものを与えられているのは、何と幸いなことでしょう。

そんな感謝を胸いっぱいに感じながらマレーシアから帰国してみると、英会話学校のNOVAが会社更生法を申請とのこと。簡単に言えば、誰かがこの後、助けてくれなければ潰れるということです。500億円規模の負債に加えて、授業料の前払い分もまだ400億円分もあるとのこと、先行きは不透明です。「駅前留学」「NOVAうさぎ」「NOVA友」など、つい最近まで印象的なCMの連発で業界最大手として頑張っていたはずなのですが、中身は随分いい加減だったようです。表面は格好良くても、中身はズタズタでは困ったものです。うわべだけの勢いというものが世の中には案外多いように思います。本物の信仰の世界とは大違い、と言うわけです。

今日は、癒しの礼拝。今日の世界においても、聖書の時代と同様に働いて下さる主イエス・キリストを体験いたしましょう。主は、今も祈るものたちに救いを与え、癒しの力を聖霊の臨在の中で豊かに注いで下さいます。昨日も今日も変わることのない主の恵みをあなた自身が受けることが大切です。難しい勉強や、自分の考えや屁理屈だけで終わる頭の信仰から抜け出して、神の力の現われる本物の信仰へと脱皮してまいりましょう。何と言っても、信仰という私たちの心と霊に密接に関わるものにおいてこそ、見かけや格好ではなく、中身で勝負いたしましょう。


日本もアメリカのようになってきました! 2007年10月22日

日本も、だんだんアメリカのようになってきました。音楽やファッションの話ではなく、犯罪の話です。先日、ニューヨークのビル・ウィルソン牧師の所を訪れ、現地での働きを目の当たりにして戻って来たばかりなのですが、ほんの数日前、付近で小さな男の子が何者かによって射殺されたという話題が取り上げられていました。教会学校にも通ったことのある子供だったようです。涙を流しながら、その子のことを語るウィルソン先生の姿が印象的でした。

そんな話題は、もはやアメリカだけに限った話ではありません。日本でも、帰宅直後の小学生の女の子が何者かに玄関前で刺殺されたり、一歳半の我が子をコンクリート詰めにする親がいたり、と以前では考えられない事件が頻発しています。大変な問題だ、とテレビや新聞で取り上げられれば、取り上げられるほど、かえってそういう犯罪が当たり前のようになって蔓延してしまうようです。つくづく人間というのは思っているほど賢くないものだと考えさせられます。

悪への傾斜が激しい世の中だからこそ、私たちは本気になって自分の生活の中に良いものを作り出すべきです。詐欺や犯罪の話題ばかりが溢れていて、私たちの心が徐々に罪深い事柄に対して鈍感になることには注意が必要です。だからこそ、自分から意識して、自分の心を豊かにさせ、周りの人々を幸せにし、神様に喜ばれる良いものを形にしたいものです。良い物は良い、と素直に宣言できる一人一人となってまいりましょう。

プロ・ボクシングの世界でも、世界タイトルマッチでの亀田大毅選手の反則行為や暴言について大騒動です。破天荒で個性的なアンチ・ヒーロー(悪役っぽいのだけれど人気のある)として人気の家族なのですが、ちょっと図に乗りすぎてしまったというところでしょうか?人をののしろうと、どんな無茶苦茶なことをしようと強ければ許される、というのはやはり幻想だったわけです。度を過ぎた暴言や反則行為の連発は、ファンの心まで冷え込ませてしまいました。きちんとしたルールやスタイルが確立されたはずのプロ・ボクシングまで、陳腐な格闘技のように色褪せたイメージを作り出してしまいました。

悪ではなく善、ひねくれたり、物事の裏側からのアプローチではなく、正直に正面からの方法論を意識しましょう。やはり、どんな時にも神様に喜ばれる生き方を選び取ってまいりましょう。


徹底的な現場主義で! 2007年10月15日

アメリカよりご挨拶申し上げます。今回は、ニューヨーク・ブルックリンを訪ね、メトロ・ミニストリーズのビル・ウィルソン先生とお会いしています。今年の4月、3回目の来日を果たして下さり、セミナーでの素晴らしいメッセージを東京と松山で語って下さった先生ですが、先生の活動の本拠地でその働きをつぶさに見させていただくことはまた格別なものです。ここ数年、ウィルソン先生が直接関わっている子供たちを支援して下さる方々も増えて来ましたので、働きの場を実際に見てみたいという希望にお答えする形で、今回の旅の計画が実現しました。

マンハッタンの摩天楼、ウォール街、ブロードウェイや5番街に代表されるような、世界の経済や文化の中心としてのニューヨークが確かに存在しているのですが、その一方でハーレムやブロンクス、ブルックリンなどの一部には貧困とともに暴力や麻薬、売春などに染まった地域があります。日本でも最近話題になり始めた格差社会の現実が、ここではもう厳然たる事実として存在しているのです。

そんな中での、ウィルソン先生の働きです。もちろん、十分なお金がある訳ではなく、豊富な人手に支えられている訳でもありません。政府や地域の行政が何かを始めてくれたから動き始めたというのではありません。ただ一人の信仰者の行動によって動き始めた働きです。誰も何もしない時に、これは神様が自分を導いていらっしゃると信じて行動し始めた訳です。みんなで相談して、あるいは何かの委員会で決定したから、という訳でもないのです。

ウィルソン先生の行動のパターンは、いつも徹底的な現場主義。何はともあれ、目の前の一人の子供に精一杯の愛情を注いで、たとえそれがどんなに小さな祝福に見えてたとしても、想像の世界にとどまらせておくことをせず、現実のものとさせるのです。どうも頭でっかちな日本人には頭の痛い話なのです。

あなたの生活の中にも、この徹底的な現実主義をある意味できちんと定着させましょう。へ理屈や逃げ口上はもう十分だ、と自分で心を定めましょう。そうです、信仰さえあなたの心にあるのなら、あなたはもっと具体的に、現実的に行動することができるのです。当然、神様の御手の業が、あなたの生活に伴って来ます。想像するだけの信仰から、実際に行動し、自らが体験して行く中身のある信仰生活へと変えられてまいりましょう。


不機嫌に要注意! 2007年10月8日

9月末のこと、人気女優の沢尻エリカさんが、自身の主演した新作映画の舞台挨拶で不機嫌な態度を取ったことで、大騒ぎになってしまいました。周りの人々にも、原因は良くわからなかったそうなのですが、大興奮で期待している大勢のファンを目の前にして、悪態をついてしまったのです。短いお決まりの挨拶さえ嫌々の態度で、特に思い入れの強い、印象に残ったシーンは、と聞かれて「特にない・・・」、ほのぼのエピソードを問われると「別に・・・」。終始腕を組んでうつむいたまま、周りの人々に冷や汗をかかせて終わってしまったのです。

女優としての才能に恵まれた人なのですから、私たち凡人よりずっと喜怒哀楽が激しくても当然かもしれません。感受性の豊かさが、芸の広さの一因であるかもしれません。また、普段から、強気で奔放な性格だと芸能界でも以前から噂の女性ですから、その日がそれほど特別な状態だったというのではないかもしれません。自由奔放な生き方も、確かにスターの魅力の一つと言えなくもありません。しかし、いくら理由を付けても、それが社会人としての節度のなさや非常識な言動と映ってしまうと全くの逆効果。本人も、謝罪のブログに涙の謝罪会見・・・と、いきなりの大問題に発展してしまいました。

最近では、何事も自分の心に正直な方が良い、と従来、感情を内に込めがちだった日本人の傾向の逆を行くように、感情の自然な発露を良しとする風潮が強くなっています。もちろん、抑圧されているのはよくありません。しかし、だからと言って、何でもかんでも感じたままを表現して良いわけではないのです。最近は自分の感情をコントロールできず、すぐに爆発したり、キレたり、不機嫌のオーラをところ構わず放って、周りの人々の迷惑を顧みない人が増えています。

私たち人間は、野生のままの動物ではありません。理性があり、意志の力もあるはずです。人間関係への配慮もそれぞれに身に着けているべきですし、大人としての立居振る舞いも必要です。そして、何よりも、信仰者として喜びや感謝をもって生きることを、人生の基本として主キリストから与えられているはずです。私たちは、自ら進んで、喜びを持って生きることを選び取りましょう。不機嫌や怒り、愚痴や不満、後悔は、決して私たちの感情の主役となってはいけないものです。平安、喜び、感謝・・・常に良きものを選び取り、心の中に満たしてまいりましょう。


聖書が語るとおりのキリストを! 2007年10月1日

先週、9月26日(水)、27日(木)の二日間、東京でレイモンド・ムーイ先生をお迎えしての癒しのセミナーを開催することができました。ムーイ先生には6月にも来日していただき、同じように癒しのセミナーを開いてもらったばかりなのですが、早速の22回目となりました。全国の兄弟姉妹にもお祈りいただき、大成功となりましたことを感謝いたします。

教会の50周年を、感謝をもって祝う中で、この日本が主キリストの愛によって変えられるために私たちの存在があることを再確認させられ、これからますます主の救いの恵みが力強く現わされることと同時に、癒しのわざがもっと顕著に現わされなければと強く願わされたのです。私たちの教会の働きの両輪として、救いと癒しのわざがもっと明瞭に現われなければならないと示されました。

そこで、ムーイ先生にもご協力いただいて、東京では一連の癒しのセミナーを開催し、日本全体に対して、主キリストによる救いと癒しのメッセージを発信していこう、ということになりました。決して、大袈裟(おおげさ)なことではないのです。聖書には、主キリストが人々を次々に癒された記事が満載なのですから、もし同じ主を信じていると告白できるなら、救い主なる主は同時に癒し主でもあると受け入れることができるはずなのです。

ムーイ先生のメッセージの中でも、“聖書が語るとおりに”というフレーズが何度も出てきます。癒しは決して特別なものなのではなく、聖書が約束しているとおりのものなのです。素直に信じて、祈ってみれば、私たちの想定の範囲を越えることが、聖霊の臨在の中で癒しのわざとなって現われてくるのです。

今回の集会の現場でも、踵の軟骨が消えたり、不揃いだった足の長さが揃ったり、白内障のはずの人が何故かはっきり見えるようになったり、五十肩がいきなり治ったり・・・と、癒された本人のみならず居合わせた皆が心から嬉しくなる、素晴らしい奇跡的な出来事が起こりました。“聖書が語るとおりのキリストによって”ということなのです。

別に、奇跡的なことばかりを追い求めようというのではありません。ただ、どれほど私たちに経験があり、信仰の知識が深まったとしても、“聖書が語るとおりに”という基本は忘れてはならないことなのです。主の御前では、いつも素直に、素直に。聖書が語るとおりの、素晴らしい救い主イエス・キリストを体験してまいりましょう。


何だか変ですね! 2007年9月24日

山口県光市の母子殺害事件の裁判が、まだ続いています。先週も、その差し戻し控訴審の公判が開かれ、今回は殺害された本村弥生さんの夫、洋さんと弥生さんの母親の意見陳述などが行なわれました。その報道を聞きつつ、何だかむごい裁判だな、と感じてしまいました。

一人の男が、何の面識もなかった無抵抗の若い母親と1歳にも満たない幼子をあっさりと殺害した。隠しようのない犯行の事実がそこにあるの